夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第2回》〜久しぶりに猪木のこと〜

文・夢枕 獏

 漫画家の板垣恵介さんと、時々夜半に長電話をする。
 たいていは、格闘技の話であり、お互いがひそかに手に入れた、活字にならないようなマニアネタや極秘ネタについて話をしたり、その時話題になっている格闘技界のことについて話をしたりするのである。
 つい先日も電話があって、
 「ミスター高橋の本を読みましたか?」
 と板垣さんが言うのである。
 「まだ読んでませんが」
 と言うと、
 「おもしろいですよ、あの本は──」
 ぜひ読んだ方がいいですよとすすめるのである。
 ミスター高橋というのは、長い間新日本プロレス(猪木の作ったプロレス団体)でレフェリーをやっていた人物で、しばらく前に辞めているのだが、彼がプロレス界(主に新日本プロレス)の裏の話を、あれこれとその本の中で書いているというのである。
 仕事で出かけた京都でこの本『流血の魔術 最強の演技』(講談社刊)を買い込み、ひと晩で読んでしまった。
 たいへんおもしろい。
 プロレスというのは、どの試合も、前もってあらかじめどちらが勝ってどちらが負けるかが決められているショーであると、ミスター高橋は書いている。
 流血は、レスラー自身の血であるが、隠し持ったカミソリなどで、自分で切っているのだという。レフェリーが切ることもあり、著者自身も、何度もレスラーの額を切ってやったことがあるのだという。
 基本的には、すでに知られていることが多く、
 ・プロレスはショーである・
 という点については、今さらながらの感があるが、しかし、当事者の話であり、ディテールなどの細かさには驚かされた。
 一九八六年六月、第四回IWGP(アイダブリュージーピー)ヘビー級王座決定リーグ公式戦Aグループの決勝進出を決める試合が、猪木とアンドレ・ザ・ジャイアント(故人/身長223cm)との間で行われた。
 この時、猪木がアンドレの腕を極めてギブアップを奪い、勝利したのだが、このアームロックのフィニッシュを提案したのがアンドレであったというのは初耳であった。しかも、著者が四週間かかってアンドレをくどいたのだというではないか。
 この本の中で一番びっくりしたのは、一九七六年に、パキスタンで行われた、猪木対アクラム・ペールワン戦の裏話である。
 これは、数少ない猪木が真剣勝負した試合であり、その意味でも歴史に残っているのだが、これも表に知られているものと、裏で知られている話とは違っている。表向きは、猪木が腕を折って勝ったことになっているが、これには裏の話があって、猪木が相手の腕を極めたところ、アクラムが腕を噛んできたというのである。
 「これがその時噛まれた痕ですよ」
 後年、ぼくは猪木にその時の噛み痕を見せてもらったことがあるが、この時に猪木は、アクラムの眼の中に指を入れてえぐってしまったというのである。これをぼくは猪木自身から聞かされて、ずいぶんびっくりしたものである。
 しかし、この話にはさらに裏があったのだ。
 ミスター高橋の記すところによれば、順序が逆である。猪木が先に相手の眼の中に指を入れ、その苦痛から逃れるために、アクラムが腕に噛みついたというのである。
 もっとも、猪木の方だって事情はあった。
 猪木は、当然ながらプロレスをやるつもりで、パキスタンまで出かけて行ったのである。
 ところが、アクラムが勝ちにきた。
 猪木は、モハメド・アリとプロレス対ボクシングの試合をやったばかりの頃であり、世界的に有名であった。あのアリと引き分けた猪木に勝てば自分の名があがると相手が考えたのである。
 何しろ、猪木はアリとの試合では寝てばかりいた。世間的には強そうに見えなかった。これならリアルファイトでやっても勝てるであろうと思ったのであろう。
 プロレスをやるつもりで行った猪木と、試合直前まで、相手はどういう打ち合わせもしないのである。もともと、プロレスであると思ったからこそ、猪木も出かけて行ったのである。
 それでシュート(真剣勝負)をしかけてきた。
 これは、相手がいけない。
 しかし、相手がいけないとはいっても、眼に指を入れるところまでやっていいものかどうか。
 いやもう、いいも悪いもない。追いつめられればそこまでやってしまうのが猪木なのである。
 つい最近、議員になった大仁田が、アフガン問題のさなかに、パキスタンまで出かけていったら、まだまだ猪木の人気には凄いものがあったという。
 猪木さん、もう一度パキスタンに行って、プロレスをやりましょうと大仁田はスポーツ紙で呼びかけたりしているが、たぶん、猪木は一緒に行かないのではないか。
 しかし、二十年以上前に試合をした猪木のパキスタンでの人気がいまだに凄いというのは本当であろうか。
 これは本当である。
 文芸春秋のある編集者が、猪木の取材でパキスタンまで、やはりつい最近行って帰ってきた。
 さっそく彼から電話があって、
 「いや、獏さん、猪木の人気は凄いですよ」
 興奮ぎみに語っていたから、間違いはないだろう。
 その彼が教えてくれたのだが、すでに猪木とやったアクラムも、その兄弟も、多くの人間がこの世を去り、今は、ただひとりが生き残っているだけなのだそうだ。
 当時三十代であった猪木も、今は六十代である。
 かく言うこのぼくも五十歳である。
 板垣さんの電話から、ミスター高橋の本を読み、今回は色々なことを考えてしまった。
 この文章が活字になる頃には、猪木軍対K‐1軍の対戦結果(2勝1敗4引き分け/猪木軍の勝ち)が出ているであろう。
 猪木はまだまだ元気である。


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