夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第3回》〜網走湖で仕事三昧 釣り三昧〜

文・夢枕 獏

 ・倒れるまで仕事をして、起きあがれなくなるまで遊ぶぞ・
 これを今年の目標にしたのである。
 なんだ、オマエがいつもやっていることじゃないか、と言われればそれまでなのだが、今年はこれまでとは少しは違うのである。これまでは自覚がなかった。
 今年からは、それを目標にするくらいだから、ちゃんと自覚があるのである。
 つまり、いきあたりばったりではなく、多少の計画性が出てきたということである。
 温泉に泊まり込んで、気がむいたら釣りにゆく。
 雨が降ったら、どこへも行かずに、一日中布団の中で好きな本を読んでいる──これがぼくの一番やりたいことであった。
 布団は一日中敷きっぱなし。
 窓の外には、いい川が流れているのが見え部屋は仕事の資料や本やらで散らかりほうだいで、自分の部屋のような気分でくつろげる。邪魔な電話はかかってこない。
 これが理想である。
 その理想を、今年は一月早々に実現してしまうこととなってしまったのである。
 そもそもはシロアリが原因であった。
 築十数年のわが家にシロアリが出たのである。
 この八年近く、二年に一回くらい、わが家のぼくの仕事場に、シロアリが大発生していたのである。
 いつも、五月の連休を前後する時期に、おびただしい数の羽アリが出て、部屋の中を飛びまわるのだ。
 そのたびに業者の方に来ていただいて駆除をしてもらっていたのだが、これがまるで効果がない。ついに二階の天上近くの柱から羽アリが出てくるにおよんで、徹底的にシロアリと闘う決心をしたのである。
 シロアリの出てくるあたりの壁をひっぺがしたら、なんと、指がずぶりと潜り込むくらい、柱がずくずくになっていた。
 「あっ、こっちもだ」
 「こちらも凄いですよう」
 壁をはがしてみていくうちに、家のあちこちにシロアリが入り込んでいるのがわかったのである。
 原因は、手抜き工事である。
 家を建てる時に、定められているシロアリ対策をきちんとやっていなかったことと、雨の少ない海外の法式で建てたため、雨の多い日本の風土にそれが合わなかったのである。そのため、シロアリが進入し易い状況が、家の方にあったのである。
 こうなったら、壁の全てをはずして、点検をし、ついでに地震対策と防犯対策をかねた工事をやって、リフォームもしてしまおうということになってしまった。
 これも勢いである。
 結局、家の改装に近い工事になってしまい、四ヶ月余りもたつというのに、今、この原稿を書いている現在も、工事はまだ完全には終わっていないのである。
 秋から工事が始まり、年末年始と休んでいたのだが、正月の休みあけからまた工事が始まり、これがなかなかうるさい。
 なかなか原稿が進まない。
 ついに逃げ出すことにした。
 北海道の網走湖に、一月半ばから仲間と氷上ワカサギ釣りに行くことになっていたので、三日先行して現地入りして、温泉に宿をとり、そこで原稿を書きながら仲間を待つことにしたのである。
 「あ、抜け駆けする気ですね」
 「先にワカサギ釣るつもりだろう」
 釣り仲間からは、さんざんこのように言われたのだが、今回は仕事が本当にさし迫っていたのである。
 山のように資料と本を(もちろん釣り道具も)温泉宿に送り、ぼくはペンと下着だけを持って、北海道は網走にある宿に入ったのであった。
 宿は網走湖のほとりにある某温泉旅館である。
 旅館というと、必ずといっていいほど朝は起こされるし、食事がすんでもどってくると布団がたたまれているということになっていて、どうにも自由ではないのが困ったことなのだが、今回は泊まる時にきちんとそれを言っておいたのがよかった。 
「あ、布団は一日中敷いたままでいいですから。散らかってても、掃除はしなくて結構です」
 机の位置をかえ、仕事し易いようにしておいても、ちょっと留守にしている間に誰かが入り込んで、机をもとの位置にして、乱雑ながらもどこに何があるかわかるようにしておいたのが、きれいにかたづけられてしまっていることがよくあるからだ。
 大きな座卓の前に布団を敷いて、その布団に座って原稿を書く。
 窓は左側で、眼をやれば全面結氷した網走湖が見えている。これが、鮎のいる川ではないのが残念だったが、どういう邪魔も入らないのがいい。
 『陰陽師』を書き上げ、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を書き上げてしまう。
 好きな時に温泉に入り、気がむいたらテレビを点ける。
 外へ一歩も出ない。
 やってきた釣り仲間と合流した時には、予定していた原稿のほとんどは終わっていたのである。
 氷上で、氷に穴をあけ、ワカサギを釣る。
 釣ったワカサギを氷の上に転がしておくと、たちまち凍りついてしまう。
 それを、我々の面倒をみてくれている北海道の澤田さんが、からあげにしてくれる。これがうまい。銀座に店を持っているシェフのMさんが、氷上で料理をしてくれ、それを食べつつ、ワインを飲みながら釣りをする。
 まことに贅沢きわまりない北海道の釣りであった。
 今年も山のように仕事をして、ぐったりするほど遊ぶつもりである。


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