もうしわけないが、我々が最初に宿泊した宿の名は書けない。
そこがあまりにもよい宿だったからである。
部屋数も三室か四室しかなく、雑誌などで宣伝をしたら、あっという間に満室になって、ぼくが泊まりたい時に泊まれなくなってしまうからだ。
沖縄の北にある、某河川の河口にある民宿である。
眼の前が、川と海である。
釣り竿を片手に宿を出れば、そこがもう釣り場である。
アカショウビンのひょろひょろと鳴く声も聴こえ、Tシャツ一枚で潮風に吹かれながらウイスキーなどを飲んでいると、昼間からまことによい心もちになって、仕事はしたくなくなり、気ばかりが大きくなってくる。
夜に宿の囲炉裏をはさんで、地元のAさんから話を聴く。
Aさんは、大学生の時に沖縄を出て以来、そのままずっと東京で働いていた方である。数年前に沖縄に帰ってきて、地元でデザインの仕事をしている。
海底遺跡の話をしたら、すぐに何のことかわかったらしく、
「あれは遺跡ではないんじゃないですか」
まことにあっさりとした話が帰ってきてしまったのである。
「え、遺跡でないと証明されてしまったんですか」
「いえ、証明されたわけではないんですが」
日本に限らず、世界的に、超古代史の世界はまことに怪しげである。
『古事記』より古い本が出てきたり、古代文字で書かれた文献なども出てくる。『津軽外三郡誌』なる怪しい本も出て、この本によれば、古代東北に王朝があったことになっており、これは教科書にも載ってしまった。
しかし、これは後に明らかな捏造本であることがわかってしまった。
地元のW氏が、日本史の色々な資料をつぎはぎして、自分の都合のよい日本の歴史をでっちあげたものだったのである。
だって―――
古代に書かれた本の中に・文明・だとか・文化・だとか、英語を日本語に翻訳するために明治以降になって作られた言葉がたくさん出てくるんだもの。これですぐ嘘だとわかっちゃう。
近頃では、旧石器時代の遺跡を捏造していたあの・神の手・事件が有名である。
地元の方があっさりと、
「あれは遺跡じゃありませんね」
と言うようでは、本当にそうかなと思ってしまう。
・遺跡ポイント・では、みごとに人の手が加工したとしか思えないエッジの立った階段状の巨石が海に沈んでいて、これを写真で見るとなかなかの迫力である。
しかし、自然の力も、時おりこのような技をなすことは知っているので、それだけを見て遺跡であると断言することはできないが、沖縄の海域に、様々な人造物らしきものが沈んでいるのは事実なのである。
ストーンサークル。
祭壇。
石器。
これまで発見されたものはかなりの量にのぼり、台湾の海域では、明らかな人造物である石垣が海底から発見されている。
沖縄では、海底にある鍾乳洞も幾つかあらたに発見された。
鍾乳洞というのは、空気中で時間をかけて形成されるものであり、海中でそれが形成されることはあり得ないものである。
このことによって、かつて陸地だった部分が海に沈んだのだということがわかる。
その理由については、次の三つ以外にはない。
・海水面が上昇した。
・陸の方が沈んだ。
・その両方が重なった。
琉球大学では、木村教授にお会いして、話をうかがった。
「このあたりの海水面は、地球史的な長さで見れば何度も上がったり下がったりしているんです」
その地図を見せていただいたのだが、なるほど、日本列島は、くり返しくり返し大陸と地続きになり、その度に大陸から動植物や人間たちが、この東洋の島に入ってきているのだということがわかる。
ある一時期は、あの長江の河口、沖縄のあたりにあったりもしたのである。
遺跡の存在がどこまで証明できるのかはわからないが、ぼくの基本的な立場は、
「どちらならおもしろいか」
である。
小説を書く立場としては、遺跡でなないと証明されてもこまるし、かといって、これは前何世紀にこれこれこういう民族がこういった理由で建てたものなのであると、はっきりわかってしまってもこまるのである。
遺跡か、遺跡でないのか――よくわからないというグレーゾーンが、ぼくにとってはまことに願ってもない状況ということになる。
木村教授にお会いしての帰り、琉球大学のキャンパスを歩きながら、Kさんとそういう話をした。
「できれば、小説を書いている間は、このグレーゾーンが続くといいんですけどねえ」
「しかし、この海底遺跡、なかなかおもしろいですねえ。こんど、うちの雑誌で探検に来ようかなあ」
Kさんは、このようなことまで言い出したのであった。
取材の合間を縫って、何度かリーフに出かけて竿を出し、ルアーを投げてサンゴ礁の魚を釣ったのだが、なんとKさんは、シュノーケリングの用意までしてきており、網でハリセンボンを採ったり、貝を採ったりして、あそんでいるのである。
遊びと仕事が直結するというのは、仕事のひとつの理想である。
「いい仕事だなあ」
と言ったら、
「バクサンには言われたくないなあ」
逆に言われてしまったのであった。
沖縄取材も終わり、いよいよこの秋からは、『大江戸恐竜伝』を書くことになる。