夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第9回》〜京都で天野さんと会ってきた〜

文・夢枕 獏

  色々と、あちこちへ出かけてばかりいる。
 京都へ行ってきた。
 いつもニューヨークで仕事をしている絵師の天野喜孝さんが、たまたま日本に帰ってきており、京都にいるというので会いに行ってきたのである。
 実は大阪で仕事があったのだ。
 サンケイホールで講演をし、浅井慎平さんと対談をしてきたのである。
 しばらく前、産廃問題で注目を集めていた瀬戸内海の豊島(てしま)を中心にして「瀬戸内オリーブ基金」という運動が進められている。弁護士の中坊公平さんと、建築家の安藤忠雄さんが呼びかけ人となって、募金を集めたりボランティアをつのったりして、島に百万本の樹を植えようという運動である。
 産廃が完全に撤去される道筋はできあがったものの、それだけで島の自然がもとにもどるわけではない。オリーブに限らず樹を植えて、島の自然を取りもどし、自然と人間の共生を考えようというのが目的だ。
 この会に呼ばれて、話をすることになったのである。
 ぼくは、野田さんと何度か行ったアラスカのユーコン川の話をした。もうひとつした話は、アラブ首長国連邦のドバイの水事情についてである。
 このドバイでは、水は全て人間の管理下にある。
 あり余る石油を売って得たお金を使って、この国では海水から水を作っているのである。下水もたれ流したりしない。全て下水を一ヵ所に集め、再びきれいな水に再生してしまうのである。この過程でできあがった・しぼりカス・は、乾燥させて肥料を作る。
 下水から作ったこの肥料と水を使って、ドバイでは砂漠の真ん中に、森や、芝生や、農場を作っているのである。ドバイの樹々の緑や草花は、自然がもたらしたのではなく、人間が人工的に作り出したものなのである。
 樹の一本ずつにはホースが巻きついていて、一日あたり約四十リットルの水が、ある時間が来ると自動的にその樹のために撒かれることになっているのである。
 日本という国土が、どういう苦労もなしに最初から有している森や、川や、草や花が、ドバイにはない。人工的に作り出すしかないのである。
 日本という国は、こと自然に関する限り、大変に恵まれた国なのである。
 その自然を、不必要なダム建設や道路建設で次々に失いつつある。これはたいへんに哀しいことであるという、そんな話をしてきたのである。
 講演と対談が終わったのが夜である。
 本来の予定ではそのまま大阪に泊まるはずであったのだが、冒頭に記したように、天野さんが京都に来ているというので、急遽宿泊先を京都のホテルにかえて、天野さんと合流したのである。
 天野さんは、こんどパリで開く個展の準備のために京都にやってきたのである。
 今、天野さんがやっているのは、着物に直接絵を描いたり、金箔を張った襖や屏風に絵を描いたりすることである。他にも、ステンドグラスや、新しい素材を使った絵など色々とやっているのだが、日本にもどってきた時は京都に出かけてゆくということが多い。京都に存在する日本的で伝統的な技法や素材が、天野さんの興味をひいているらしい。
「伝統的なものをそのままということではなくて、そこから新しいものを創っていくのがおもしろいんです」
 天野さんと、世界の現代美術家たちの話を色々と聴いた。
 世界では、ほとんど考えつく限りの色々な美術的試みが、なされている。
 パフォーマンス、イベント、大道芸、そういうものともうほとんど区別がつかない状態になっているらしい。
 「ナスカの地上絵のように、空からしか見ることのできない絵なんかどう?」
 と言ったら、そういうことをやっている人も何人かいて、たとえば、島ひとつを買い込んで、島を丸々美術作品にしたり、街ひとつをそっくりそのまま、道路、家のかたち、色、あらゆるものを美術家がデザインをして作るという試みもなされているらしい。
 その街をデザインしたデッサンや、パースなどが、そのまま作品として展示されて売られる。街を作ってゆく過程が、パフォーマンスとして客を呼び、協力してくれた市からの援助金やら何やらで、きちんと採算がとれるらしい。できあがったら、写真を撮り、写真集を出し、そして、ある期間がすぎたらそれを取り壊してしまう。
 何かに似ていると思ったら、万博に似ていた。
 多くの工事費などが動いたんだろうなあと思う。
 そういう人たちの中に、天野さんは入り込んでがんばっているわけなのである。
 一緒に行ったお店で、天野さんは、大量の筆と和紙を買い込んだ。何十本も筆を買ったが、
 「結局、気に入って、ずっと使うことになるのは、このうちの数本だと思います」
 と天野さん。
 京都の陶芸家、叶道男さんの工房に行って、叶さんと色々話をした。
 実は、昨年から、天野さんと叶さんとぼくと三人で、楊貴妃をテーマに陶芸作品を創っているのである。
 ぼくが戯曲を書く。
 死んで、蓬莱宮にいる楊貴妃が、千二百五十年後に、昔ゆかりのあった人間たちの霊を蓬莱宮に招待して晩餐会を開く。
 玄宗皇帝、高力士、日本人阿倍仲麻呂、李白、道士などがやってくるが、彼らは記憶を失っていて、自分が何者であるかわからない。しかし、出てくる器に描かれている絵や、文章を読むと、いずれも自分たちにゆかりのある絵であり物語である。
 最後のメインには、高力士の皿には、楊貴妃の首を絞めた絹のスカーフが出てくる。他の面々にもそれぞれゆかりのある品が皿に載って出てくる。そして、デザートにライチ(楊貴妃が好きだった)が出てきた時に、全員が記憶を取りもどす。
 そこへ───
 「わたしを覚えておいでですか」
 楊貴妃が舞いながら姿を現すという話である。
 この晩餐の時に、テーブルに出る食器を我々で創っているのである。
 急がず、慌てず、二年後くらいにできあがった器で、みんなで食事をしましょうということになっている。


(c)Digital Adventure.Inc.