夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第11回》〜猫を飼っている。〜

文・夢枕 獏

 猫を飼っている。
 アメリカンショートヘアで、子猫の時に我が家にやってきて、そろそろ一年半になる。
 名前はシャラクである。
 江戸時代の役者絵を描いていた写楽ではない。
 手塚治虫さんのマンガ『三つ目がとおる』の主人公写楽保介(しゃらくほうすけ)の写楽である。
 我が家で飼うことになったおり、まだ子猫であった彼を前にして、家族四人で名前を考えた。
 色々な名前が挙がったのだが、結局シャラクに落ちついた。
 理由は、模様にある。額にある・M・の字模様が眼に似ていたので、これは三つ目ではないか、ならば名前は、
 「シャラクちゃんでいいじゃない」
 とカミさんが言ったのである。
 その時は、他にいい案が浮かばなくて、なんとなく、便宜上シャラク、シャラクと呼んでいるうちに、なんとなくシャラクと決まってしまったのである。
 だから、きちんとした命名の式をやったわけではない。
 女の子の家に、ある時酔っぱらった友人の男が終電がないものだから泊まり込んで、そのままなんとなくそこに居ついてしまい、いつの間にかケッコンに至ってしまったような、まあ、そんな感じであるかもしれない。
 このシャラク、なかなか乱暴者であり、家の柱が、彼が昇るため傷だらけになっている。どの柱でも昇るというわけではなく、ある特定の柱の何本かがお気に入りで、その柱だけ表面が掻き傷でささくれてしまっているのである。その数三本。
 いったいどういう基準でシャラクがその柱を選んだのかなぞなのだが、とにかくその三本の柱だけは、家主としては猫のものとして、綺麗にしておくのをあきらめざるを得ない状態なのである。
 このシャラク、なかなかトイレを覚えなかった。
 始めは、ダンボールの箱をトイレにして、そこに猫のトイレ用の敷き砂を敷き、トイレをさせていたのである。ウンチやおシッコをしたら、専用のちりとりで、汚れたその「砂」だけを取って、水洗トイレで流す。水洗で流せるようにできているからいいのだが、困ったことに、 シャラクは時々下痢をするのである。
 一ア月に一度くらい下痢になる。その時は、家中がひどいことになる。我が家のシャラクは、下痢の時には家中を走り回りながらウンチをするのである。
 だから、床中に猫の下痢便が散乱することになる。
 そもそも、猫を飼いたいと言い出したのは高校生になる上の娘であり、
 「おまえがきちんと猫の世話をするならいいよ」
 「うん、わかった」
 という約束のもとにこのシャラクを飼うことになったのだが、どこの家でもそうだと思うのだが、返事がよいのは最初の時だけであり、この猫の世話をするという約束が充分に守られていないのである。
 しかも、シャラクの下痢便ときたら一日中場所も時間もかまわないので、娘が学校に行っている間に、おもらしをしてしまったら、もうどうしようもない。
 まさか、娘が帰ってくるまで、柔らかなウンチが床に跳び散っているのを放っておくわけにもゆかず、こういう時、たいていはうちのカミさんがその始末をすることになる。
 仕事場で仕事をしている時はいいのだが、たまに母屋の方に仕事場から降りて行った時などにそういう場面とぶつかると、ぼくもシャラクのウンチの後始末を手伝うことになってしまうのである。
 「だって、家にいないんだから、しかたないじゃん」
 と娘は言うのであり、それはその通りであり、この件についてはこちらもあきらめざるを得ないのだが、しかし、どうして、下痢などをするのか。
 原因のひとつはわかっている。
 シャラクが、時おり、輪ゴムを食べてしまうことがあるのである。
 家には、毎日、たくさんの郵便物が届くのだが、それは、いつも赤い輪ゴムでとめられている。この赤い輪ゴムが、シャラクは好きなのである。
 どうして、猫が輪ゴムを───それも大きな赤い輪ゴムを食べるのかぼくにはよくわからないのだが、その輪ゴムを食べた時に下痢になるケースが多いのである。
 お尻の穴から、赤い輪ゴムが出ていてそれとわかるのだが、いったいいつ食べるのか。この
ことに気がついてからは、赤い輪ゴムは猫の手の届かぬようにすぐにゴミ箱の下の方に捨ててしまうのだが、どうやら、シャラクは、ゴミ箱の中をあさって、下の方にある赤い輪ゴムを見つけ出して食べていたようなのである。
 次には、牛乳を飲ませると下痢をするというのもわかった。
 牛乳を与えすぎると猫がお腹をこわすというのはわかっていたのだが、牛乳を飲んでいると、シャラクが擦り寄ってきて、ぼくの足に身体をこすりつけて、
 「ねえねえ」
 と甘えるのである。
 この仕種が可愛くて、つい、飲み終えた後に、底の方に残っている牛乳を、ビンを傾けて舐めさせてしまうのである。
 これでも、たまにシャラクは下痢をするらしいのである。
 可愛がってやろうと、こちらから抱きあげてやると、十秒もするといやがって逃げようとする。
 甘えてくるのは食事の時だけであり、人間の自由になるのは、むこうが眠っている時か眠たい時だけである。
 猫のシャラクは、我が家で一番自由な存在であり、一番いばっている。
 我が家は、猫を中心に回っているのではないだろうか。
 娘には勝てないにしても、なんとか、猫よりは、我が家の序列の順位では上にいきたいと思っている今日この頃なのであった。


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