夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第12回》〜パソコン指一本でやってます〜

文・夢枕 獏

 パソコンの話をしよう。
 ぼくは、長い間、ワープロもパソコンも使わないできた。
 ほんとに最近になって、パソコンを使うようになり、一本指でメールなども出せるようにはなったが、原稿は今も手書きである。
 ぼくの周囲の人々はかなり早い時期からワープロで原稿を書き始めていた。
 作家がワープロで原稿を書くというのが流行り出したのは、SF作家からではないだろうか。
 細かいことを言えばきりはないだろうが、全体として考えると、SF作家の面々が、
 「あれは便利だぜ」
 ということで、次々にこの文房具を使い出していったのだと思う。
 この新しい機械のおかげで、腱鞘炎がなおったという作家も多く現れ、矢野徹さんなどははっきりと、
 「このおかげで間違いなく作家寿命がのびた───」
 とおっしゃっている。
 ぼくがデビューしたのは、今から二十五年前───一九七七年のことである。
 記憶で申しわけないが、この頃はまだワープロで小説を書いている日本人作家はいなかったのではないか。
 最初に日本語入力できるワープロができたのが、一九七〇年代の後半であり、使う人が現れたとしたら、この直後くらいからではないだろうか。
 SF作家の中でも新しいものの好きな方々が、まずこれを使いはじめ、あっという間にこの機器は我々の間に浸透していった。
 やがて、作家仲間で顔を合わせると、
 「ワープロ使ってる?」
 という言葉が出るようになり、ぼくと同じ頃デビューした新井素子さんもいつの間にかワープロを使うようになった。
 「あんなもの」
 と言っていたはずの友人作家が、次に会った時は、
 「こんなに便利なものはないよ」
 とにこにこしながら言うようになってしまった。
 まるで、SFによくある宇宙人の侵略を目のあたりにするようであった。
 宇宙からやってきた人体に寄生する生命体───それに憑かれると、瞳が緑色に光るようになり、これまでとは別人のようになってしまう。
 瞳が緑色になった人々は、まだこの生命体に憑かれてない人間に向かって言う。
 「さあ、きみたちも早くこの寄生体を受け入れた方がいいよ。こんなに楽しいことはないんだから───」
 「こら、よるんじゃない。この宇宙人め」
 とかたくなにこの宇宙生命体を拒否し続けていた仲間が、ある日急に緑色の瞳を主人公に向けて次のように言う。
 「おい。ほんとうに、これは気持ちがいいんだ。なってみて初めてわかった。おまえも早くこうなった方がいいぞ」
 恍惚とした表情で迫ってくるのである。
 ああ、どうしたらいいのか。
 思わずコンセントのラインにつまずいて、コンセントが抜け、せっかく書いた三〇〇枚の原稿が全て消えてしまったという、ぞっとするような話も耳に入ってきた。
 「この世のどこからも消えてしまうんだから───」
 同様の被害にあった新井素子さんの話は、どのような怪談よりも怖かった。
 そのうちに、手書きは明らかな少数派となり、
 「まだ、手書きなんですか」
 このように言われるようになってしまった。
 「もう、ワープロが使えないということで受けをとれる時代は終わりましたよ」
 友人の作家の高千穂遙さんは、このようにぼくに言った。
 そのうちに、皆はワープロからパソコンのワープロソフトを使って書くようになり、手書き派からさらにさらに上のステージへ彼らは行ってしまった。
 今や、手書きで原稿を書いている作家は、ぼくの身近なところでは、菊地秀行さんくらいになってしまった。
 何故、ぼくはワープロやパソコンで原稿を書かないのか。
 一時、パソコンで書くと、文章が下手になる───ということをまことしやかに言う人もいたが、おそらく、そんなことはないとぼくは思っている。
 文章が、多少変化することは人によってあると思うが、それは、文章が下手になるかうまくなるかというのとは、別のベクトルの話であろうと思う。
 ぼくだって、パソコンで自在に文章を書いてみたいし、資料などもパソコンから呼び出して便利にあれこれ使ってみたいと思っているのである。
 ただ───
 パソコンを習得して、今の手書きと同じ速度になるまでどのくらいの時間がかかるのか。
 人によっては二週間という方もいる。
 一ヵ月という方もいるし、三ヵ月という方もいる。
 もし仮に、二週間であったとしても、この二週間が、ぼくにとってはもったいないのである。キーボードを速く打てるようになるための二週間───これが面倒なのである。
 人に訊いてみると、ワープロで書くと原稿を書くのがとても速くなるというのである。
 しかし、ぼくは、のってくれば手書きでかなりの速度で書くことができる。時速でおよそ一〇枚くらいにはなる。
 キーボードのブラインドタッチができるようになって、結局、手書きの速度と同じでは哀しいではないか。おそらく、文章を書く速度の差というのは、文房具の差ではなく、頭の中で文章を作る速度の差ではないかと思っている。文章の入れかえや消すのに便利というのも、結局はこの書く速度に換言されるので、とりあえずどうしてもキーボードで原稿を書かねばならない状況ではないのである。
 ただ、パソコンでなければできないこと──ホームページの開設やメールのやりとり、インターネット等については、パソコンを使用する以外にはないので、ぽつりぽつりとワンフィンガー・タッチで、キーボードを時おり押しているというのが、今のぼくのパソコン状況なのである。
 一生指一本なんだろうなあ。


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