格闘技界は、今、ボブ・サップの大流行である。
格闘技だけではない。どのTVチャンネルにスイッチを入れても、ボブ・サップが出てくる。
これまで、最強論争は何度となく語られてきた。
空手が一番強い。
柔道が一番強い。
いや、ムエタイである。同じ体重でやったらムエタイのチャンピオンがナンバーワンである。コマンドサンボが一番であるという人もいれば、相撲が一番という人もいた。
プロレス最強説を唱える人もいた。
プロレスが、あらかじめ勝敗が決まっていることを知らない人たちは、もちろんプロレス最強を信じていたし、プロレス事情を知っていた人たちも、本気でやったらプロレスが一番強いと答えるケースが多かった。そういう中で、十年前に登場したのが、ブラジリアン柔術───グレイシー柔術である。
これまでは、最強論争があるたびに言われてきたのが、
「実際にやってみるまではわからない」
であった。
しかし、実際にやると言ったって、どういうルールでやるのか。空手家と柔道家と闘う時に、どういうルールで闘えばいいのか。
・ルールなし・
これが、一番わかり易いことは、誰もがわかっている。
しかし、そんな試合ができるのか。ルールのないルールというのはつまり、殺し合いになってしまうのではないか。そんな試合なんか、やらせられないし、やる者がいるわけない。
結局、最強論争というのは、常に曖昧なグレーゾーンに落ち着くしかなかったのである。
グレイシー以前までは───
グレイシー一族───彼らが、ブラジルから世界に向けて発信したのが、バーリトゥードという試合方法であった。
一九九二年に、アメリカで行われたバーリトゥードの試合───アルティメット大会において、我々は初めて、最強を決めるための方法が、この世に存在したことを知ったのである。
この試合に、世界がたまげた。
ルールは、禁止事項がただふたつあるだけであった。
・眼をえぐってはいけない。
・噛みついてはいけない。
細かく言えば、KO、ギブアップ等に関することなどまだあるのだが、試合中に選手がやっていけないことは、ただこのふたつだけであった。
睾丸を蹴ってもいい(おう)。
耳を引っ張てもいい。
鼻の穴に指を突っ込んでもいい。
唇に指を引っかけて、おもいきり引いてもいい。
なんという凄いルールか。
しかも、この試合方式は、日本人の柔道家、前田光世が明治時代にブラジルに持ち込んだ技術と思想がベースになって生まれたものであったのである。
このアルティメット大会の主催者であるホリオン・グレイシーは、かつてぼくに向かって言った。
「我々は、七〇年このルールでやってますが、まだ、人が死んだことはありません」
これが、あっという間に世界中に広まった。
ルールは、禁止事項が増え、手にはオープンフィンガーグローブ(指の出るグローブ)を填め、体重別になった。
このバーリトゥードルールで、一番強い者が、世界で一番強い───そう言ってもかまわないような雰囲気になった。
競技として、人間と人間が素手で一対一で闘うのに、一番納得のゆくルールである。この先はもう競技ではなくなってしまうからだ。
そこで、あらためて、最強がまた問われた。
「バーリトゥードでやったら、誰が一番強いのか」
空手である。柔術である。レスリングである。ボクサーである。相撲である。
様々なことが言われた。
いったんは、柔術であるという結論が出そうになったこともある。しかし、レスリングの上手な人間が、タックルで相手を倒し,上から相手を殴るというシンプルなやり方で勝利を収めるようになって、レスリングであるという結論が出そうになったりもし、すると、タックルを切るのが上手な打撃系の選手が勝つようになり、また、わからなくなった。
そして、ようやく、人々は気がついたのである。
バーリトゥードというのは、試合方法ではなく、競技のひとつであるということに。
一番強いのは、蹴ってもいい、殴ってもいい、投げてもいい、関節を極めてもいい───そういう技術を総合的に学んだバーリトゥーダーである。
十年かけて、そういう結論となった。
まことにおさまりがよい。
これは、言いかえれば、
・強いのは技術である・
そういう結論であると言ってもいい。
十年をかけて、バーリトゥードもようやくそういう域にたどりついたのである。
そう思っていたところに現れたのが、インテリジェンス・ビースト───考える野獣、ボブ・サップであったのである。
身長、二メートル。
体重一七五キロ。
ようやく落ち着きはじめた最強論争を、ボブ・サップという肉体が、粉々に打ち砕いてしまったのである。
ボブ・サップは言った。
「最強とは、肉体である」
なんと原始的な宣言であったことか。
これは、体重別になったかに見えた格闘技の試合の中で、唯一、体重別が存在しない階級があったからこその事件であった。
それがヘビー級であったのである。
〈以下次号〉