夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第15回》「今年は早すぎる」

文・夢枕 獏

 もう、二月である。
 なんということだ。
 あれもこれも、やらねばならないことが山のようにあるというのに、これでは早すぎる。
 あれもこれも、それもどれもみんなやりたいことばかりで、ひとつずつのことは、少しずつしか進んでゆかない。
 昨年から、ずっと、映画『陰陽師』パート・の件で色々時間がとられている。
 そこへもってきて、実現するかどうかはまだわからないが、『餓狼伝』映画化の話も舞い込んできた。このシノプシスを書いていたらおもしろくなって、長編一本分のアイデアになってしまった。
 映画『陰陽師』も、シノプシスを書いているうちに、長編一本分のアイデアとなり、今、それを、これまでの倍のペースで小説として書いているのである。
 連載は、今、九本である。
 あちこちの文学賞の審査員の仕事も舞い込んできて、これも断りきれず、今は五つの文学賞の審査員である。なんということだ。どうしたらいいのか。
 陶芸もやっている。知り合いの穴窯に作品を入れてもらい、それを焼いているのを、正月から青梅の山の中まで観に行ってきた。これがなかなかおもしろかった。
 その足で、北海道だ。網走湖で、氷上ワカサギ釣りをやってきたのである。この間に、格闘技も何度か観にゆき、芝居だって観にゆき、落語も聴きに行ったのだ。その勢いで宝塚も行っちゃった。
 さらに、一月後半には、びっしり東京へ出て、『趣味悠々』というNHKの番組を九本撮ってきた。朝の一○時から夜の一○時、十一時までこの撮影がある。
 これがおもしろかった。
 書家の、岡本光平さんに書を習うのである。女優の戸田菜穂さんと一緒である。
 「書はイラストである」
 この言葉から番組は始まる。
 ぼくは、書に夢中になり、エキサイティングな時間を過ごした。書を書くということは、格闘技の試合のようなものだ。たいへん濃い時間を生きて、また、ぼくはドアをひとつ開けてしまったのである。
 これが、四月から放映される。
 京都、大阪にも行ってきた。
 大阪では、あるお寺に出かけ、秘仏である龍の掌を見せていただいてきた。『大江戸恐龍伝』という、今書いている小説の取材である。
 京都では、国宝の浮世絵の復刻などをやっている木版画家の立原さんのところへ出かけて、こんど出る本の表紙のお願いをしてきた。
 この間、いつも通り原稿も書き続けてきたのである。
 本もいっぱい読んできた。
 格闘技界では、大きな事件がふたつもあった。
 プライドの社長の死と、K-1の石井館長の逮捕である。
 なんだか、色々なことがどんどん起こってゆく。
 予測ができない。
 北朝鮮問題は、ますますあぶない方向へ進んでいるし、イラクとアメリカだって、いつ戦争状態に突入するかわからない。
 それにしても、なんだって、ブッシュのアメリカは、いつもあんなに高ビーなのであろうか。
 金正日よりも、フセインよりも、ビンラディンよりも、ブッシュの方がアブナイやつじゃないか。
 だいいち、大量破壊兵器を一番たくさん持っているのはアメリカだし、武器として核を使用した唯一の国もアメリカだし、世界で一番戦争をやっているのもアメリカではないか。
 アメリカ、おかしいぞ。
 このままじゃ、戦争が始まることになっちゃうぜ。
 日本だって、テロの標的になり、核の標的になっちゃうよ。もうなってると思うけど。
 これが活字になる頃には、ドンパチやっていたって、少しもおかしくない。
 しかし、なんと言ったって、たとえアメリカが間違っていたからといって、戦争が始まったら、アメリカの側につくしかないのが日本である。
 やだねえ。
 だけど、世界情勢がどうであれ、ぼくの目下のところの緊急のテーマは、一番近いしめきりである。ここが人間の哀しいところだ。
 いいことを考えた。
 日本はいっそ、アメリカの州のひとつになっちゃえばいいのである。
 そうした方がいい。
 そうすれば、松井はわざわざ大リーグへ行かなくても大リーガーじゃないか。
 長嶋さんを選挙に出して、大統領にすることだってできる。
 イスラムの国々だって、この手があるぞ。
 イスラム諸国は、みんなアメリカに入ってしまえばいいのである。
 みんなアメリカ人。
 政党を、アメリカでもうひとつ作り、フセインでも、ビンラディンでもいいから、大統領に立候補させて、票を入れて、大統領にしてしまうのである。
 で、国教をイスラム教にしてしまう。
 ハリウッドでは、当然ながら、世界の敵であるアメリカ的なやり方を、イスラム信者たちがやっつける映画ばかりを作る。
 地下に潜って、テロ組織の親分となったブッシュを、フセイン、ビンラディンが手を握って追いつめる。
 この時、日本は、この映画の中で、どういう役わりをあてがわれるんだろう。
 うーん。
 あまりにも世間の動きが早いので、ついつい、こんなとりとめのないことを、仕事のあい間に考えてしまうのである。
 とにかく、眼の前の仕事をひとつずつ、ひとつずつ、これが一番で。
 今年も、あそんであそんで、仕事をやりまくる一年に、いやでもなってしまうんだろうなあ。


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