夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第17回》〜恐竜島西表〜

文・夢枕 獏

 三月十九日から、西表島(いりおもてじま)にいってきた。『テレビ・サライ』でやっている『大江戸恐龍伝』の取材である。
 この物語の中で、琉球よりさらに南にあるニライカナイという恐竜の棲む架空の島を設定しなければいけないからである。そのニライカナイのモデルを、西表島にしたのである。
 目下、連載中であり、この島に主人公である平賀源内が行くまでまだ一年近くかかると思うのだが、今からその時のための準備をしておかねばならない。
 全部で六泊七日。
 久しぶりの、一週間のひとり旅なのである。
 西表島では、海に近いペンションに宿をとることにした。
 今回の旅にはひとつのイメージというか、決めていることがあった。
 部屋は和室。ふとんは敷きっ放し。ふとんのすぐ横に座卓を置いて、そこで原稿を書く。眠くなったらそのまま横になって眠り、目が覚めたらまた書く。気が向いたら、サンゴ礁の海までサンダルで下りてゆき、釣り。
 隣の部屋には、三〇代の色情狂の未亡人((C)野田知佑)が泊まっている。
 たまには、車でちょっと走ってカヌーに乗り、マングローブの川を漕ぐ───。
 こういった楽しい日々があるはずであったのだが、予定は未定ということであり、そうそうはいい思いはさせてもらえなかったのである。
 理由はふたつ。
 ひとつは天候である。
 行っている間、ほとんどが雨と曇りであり、晴れたのは一日半ほど。ならば、部屋にこもって仕事がはかどったかというと、実はそうではなかったのである。
 これがふたつ目の理由なのだが、イラク戦争が始まってしまったのである。
 ほとんど毎日、イラクのことが気になってテレビを点け、原稿半分、テレビ半分の日々をすごしてしまったのであった。
 実際に持ち込んだのは、竿が五本。
 ルアーが二百個。
 リールが四つ。
 その他釣り道具をどっさりと持って行った。
 さらに、『大江戸恐龍伝』の資料本をおよそ百冊。そして、電気スタンド。
 あまりにも荷物が多いため、実はこれらはあらかじめ、宅急便で送っておいたのである。
 十九日に、石垣から船で西表に入った。
 北側の船浦港に着く予定だったのだが、風で波が高く、船は南側の大原港に着いた。
 レンタカーの予約は、船浦港の方でしてあったので、急遽大原港の方に予約を変更してもらい、そこからレンタカーで北上しながら宿に向かうことにした。
 大原から船浦までというと、およそ島の半周分である。約一時間。そして、この島を半周する道が、西表の道のほとんどなのである。
 この道の両側に、小さな村がぽつん、ぽつんとある。
 島の人口はおよそ二五〇〇人。
 他の島のように開発が進んでおらず、多くの野生が残っているのが、この西表島の魅力である。
 取材といっても、書くのは架空の島だから、特別に何かをしなければならないわけではない。やることは、島の自然にできるだけ触れることであり───つまり、遊ぶことなのである。
 ・イリオモテヤマネコの飛び出しに注意・などの看板を見ながら、宿に到着。
 一階の和室──すぐ向こうが海というのは予定通りだったのだが、ちょっと予定外であったのは、宿の座卓がかなり小さかったことである。
 直径一メートルもない丸いテーブルであり、これでは原稿は書けても資料が載らない。結局、ふとんの周囲に本を山積みすることにして、ふとんの上から一歩も出ないで、どの資料にも手が届くようにした。
 空になったバックを座卓の左右に置いて、これを資料を載せる台として、ようやくぼくの仕事部屋を作り終えたのであった。
 隣は、残念ながら色情狂の未亡人ではなく、ダイビングに来た若者であった。
 しかし、前述のごとく、天気がかんばしくなく、ほとんど部屋にこもったまま、イラク戦争の映像を見、時々原稿を書いた。どのチャンネル(あまりない)に合わせても戦争のニュースばかりで、何度も見た映像が流れるのだが、しばらく見ていると、ぽろりと新しい映像が流れるので、ついついテレビの方に眼が行ってしまうのである。
 三日目に、わずかに晴れたので、あわててサンダルをはいて、海に下りた。
 ウルトラライトのロッドで二グラムのミノーをキャストする。
 たちまちアタリがあって、二〇センチくらいのミーバイと呼ばれるハタの仲間が掛かった。海の魚はひきが強いので、柔らかい竿だと、なかなかおもしろい。
 潮が退いている最中で、膝くらいまで入りながら移動してゆくと、ぽっかりとサンゴの間に空いたブルーのクレーターのごとき美しい深場がある。
 底の方に岩が点々と見えている。
 ここへルアーを投げて、中層を引いてくると、すぐに魚が掛かってくる。
 いずれも、二〇センチから、三〇センチのクラスの魚なのだが、いいのかと思うほどよく掛かる。
 フックしなくとも、投げるたびに、水中でギラギラと腹を光らせながら、ミノーを追ってくる魚があるからたいくつはしない。
 二時間ほどたっぷり遊んで、二〇尾ほど。
 気分はかなりよい。
 この日は、夜にビールと泡盛を飲む。
 ようやく晴れて、ガイドの衣斐(えび)さんと、カヌーでヒーナイ川を遡る。
 中学生の息子が釣りが好きだというので、
 「じゃあ、ぜひ一緒にきて下さい」
 と声をかけたら、その子の友人まで連れてきて、メンバーは四人。
 衣斐さんが息子のケイタと一緒に、カヌーの二人艇に乗り込む。
 ぼくは、ケイタの釣り仲間のトシヒロと一緒に二人艇に乗る。
 ケイタが小学校六年、トシヒロが中学一年。
 潮の満ちたマングローブの林の中から出発。
 久しぶりのカヌーで気持ちがいい。
 漕げば、腕の筋肉に水の手応えがあり、その手応えの分だけ、ぐいとカヌーが前に出る。
 トシヒロが釣り。パドルで漕ぐのはぼく。
 「好きなところでルアーを投げていいからね」
 言ったとたんに、もう、トシヒロはルアーを投げはじめる。
 放っておいても、釣りのことなら全部自分でできるというのが、なかなかよかった。
 西表はいい島だ。


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