夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第18回》〜タナゴ釣り〜

文・夢枕 獏

 タナゴ釣りに行ってきた。
 京都の平田さんという京竿を作っている方に、タナゴ用の竿を作っていただいたので、その竿下ろしに行かねばとずっと思っていたのだが、ようやくその機会があったのである。
 タナゴ───漢字では と書く。
 昔はどこにでもいた魚である。
 種類によっても違うが、小さな魚である。大きくなるカネヒラでも十五センチくらいまでであり、イワナ、ヤマメでは放流サイズである。
 ヤリタナゴで、十三センチ、アカヒレタビラやタイリクバラタナゴでは、八センチくらいに成長する。
 子供の頃、鮒釣りにゆくと、よくこのタナゴが掛かった。
 ウドン粉(小麦粉)をこねて、マッチ箱に入れて釣り場まで持ってゆき、鮒が釣れない時にはこれを小さな鉤の先に付けてやると、おもしろいほどよくタナゴが釣れた。
 春から初夏にかけて、オスには婚姻色が出て、赤や青や緑の虹の色が体に現れて、たいへん美しい。
 タマアミという小さなアミに箱眼鏡を持って川に入り、杭やもの陰を覗くと、鮒などに混じってこのタナゴがたくさんいた。これを、タマアミですくうのである。
 きらきらと光るこのタナゴが水からあがってくるのを見るのがなんとも好きだったのである。
 子供の頃は、YとMという伯父がいて、タマアミの時はこのYに、マチアミという大きなアミを使って魚を採る時はMという伯父につれられて、近くの川によく出かけていたのである。
 釣りの時は、父と一緒に──というのが多かったのだが、釣り以外の魚取りは、ほとんどこのふたりの伯父のどちらかに連れられてゆくというのが、ぼくの川遊びの始まりだったのである。
 子供の頃──今から四〇年以上も昔のことだが、川にはどうしてこれほどと思えるほどたくさんの魚がいた。魚だけではない。エビも、ゲンゴロウも、ヤゴも、アカッパラと呼んでいたイモリも、ありとあらゆる生物が川にはいたのである。
 あの頃の川に比べ、今は、百分の一も生物が少なくなっている。ぼくの住んでいる小田原では、ほとんど全滅してしまった種類も少なくない。
 タナゴも、ゲンゴロウも、メダカも、タイコウチも、タガメも、コオイムシも、今はどこにもいない。
 ヌマエビやらフナやら、あの頃の川について思い出すと、頭に浮かんでくる生き物は多いのだが、どれが一番思い出すかというと、結局、ぼくはタナゴだったのである。
 そのタナゴが、今、ぼくの身近な水系から、完全に姿を消してしまった。
 三〇年以上も前に、あちこちの水系を捜して歩き、やっと一尾捕まえたのが最後で、以来小田原では野生のタナゴを見たことがない。
 河川工事と、農薬、汚水がその原因である。
 タナゴは鯉の仲間であり、多少の水の汚れには順応できるのだが、農薬が川に入ってくるようになって、いっきにその数が減ってしまった。
 タナゴは、川底に棲む、カラスガイなどの二枚貝に産卵をするのだが、農薬と三面工事によって、この二枚貝が姿を消し、その二枚貝に産卵するタナゴも姿を消してしまったのである。
 このタナゴを、釣りたいと思ったのである。
 何年か前に遠出してタナゴを釣りにゆき、家まで生かして持ち帰り、水槽に入れてこれを飼った。
 この時に、ぼくは、大きな失敗を犯してしまったのである。
 タナゴと一緒に、ヌマチチブというハゼの仲間を、一緒に水槽に入れてしまったのだ。
 小さな小さなヌマチチブであったので、だいじょうぶであろうと思っていたのだが、これがとんでもないやつであった。水槽のもの陰に潜んでいて、自分より大きなタナゴにいきなり襲いかかるのである。
 たちまち、タナゴのヒレはぼろぼろになり、このストレスから、タナゴが一尾、二尾と死んでいってしまったのである。
 次にやる時は、もう絶対にヌマチチブを入れないようにしようと、この時ぼくは堅く心に誓ったのである。
 三年前───
 ある仕事で京都の和竿師──京竿を作っている平田さんという方のお宅にお邪魔をした。
 ここでみたタナゴ竿が素晴らしくよかったのである。
 これが竹竿かと思えるほど竿が柔らかい。春先の四センチ五センチというタナゴを釣りあげた時の、あのえも言われぬぷるぷるという感触を、余すところなく手元に伝えてくれそうである。
 そう思ったらもうたまらなくなって、一本注文をしてしまったのである。
 世間的にはかなりの値段であったのだが、手作りであり、一年半もかかって材料を選び、作っていただいたものであり、高い買いものではない。
 その竿を持って、千葉の北浦まで出かけて行ったのである。
 釣り仲間のAさんに案内してもらい、秘密のポイントに連れていってもらったのである。
 周囲では、田起こしが始まっており、なんとものどかな風景の中で、ちまちまと小さなタナゴを釣るのは、本当に楽しかった。
 平田さんの竿は、実にしなやかに、小さな魚のぷるぷるを伝えてくれて、一尾目を釣りあげた時は、
 「よっしゃあ」
 声が出てしまったのである。
 ぶくぶく(魚を生かしておくための装置)を用意してゆき、それで、釣ったタナゴを小田原まで生かして持ち帰った。
 このタナゴたちを水槽に入れて飼っているのである。
 今回はタナゴのみ。
 この原稿を書いているぼくの眼の前で、タナゴたちは、きらきらと腹を光らせながら水槽の中で泳いでいるのである。


(c)Digital Adventure.Inc.