八月二十六日に成田を発って、バンクーバーを経由して、ホワイトホースへ。
機内でひと晩すごしたはずなのに、時差の関係で、到着したのは同じ二十六日の午後である。
空港に、野田さんと、ヨシさんがむかえにきている。
ヨシさんは日本人の女性で、ホワイトホースで、日本からのアウトドア観光に来ているお客さんに、あれこれのサービスを提供する仕事をしている方である。
日本では、夏のさかりだが、ホワイトホースは北極圏に近いため、もう秋の気配が濃厚に漂っている。
吐く息が白く、上着がないと寒い。
ひと晩眠って、昼の十二時に出発。
車で五時間ほど走って、ビッグサーモンリバーの上流にあるクワイアット湖に到着。
ここからカヌーで出発する。
大きなプラスチックの樽が四っつ。
海用のでかいクーラーボックスがふたつ。
この中に我々の一○日分の食料が入っているのである。
カヌー二 (はい)に、この食料とキャンプ道具、釣り道具を積み込むと、カナディアンカヌー満杯になって、喫水線が限りなく上の位置に来てしまう。かなり荷物が重いのである。
湖に着く頃から降り出した雨が止まらないため、雨の中を出発。
全員で四人。
ぼくがガイドのポールとコンビを組み、野田さんが、彦いち師匠とコンビを組む。
ポールは、親日家で、日本人のアウトドアズマンの中では、なかなか知名度が高い。
野田さんが、ホワイトホースに来るたびに、原稿にポールのことを書いているので、すっかり有名になってしまったのである。
「獏さん。ポールがガイドにつくといいぜ」
と野田さんが言った。
「ポールは、現地のファーストネイティブ(インディアンのことだが、最近はこういう呼び方をするらしい)の女性と結婚しているから、鳥だろうが、獣だろうが、魚だろうが、捕り放題なんだ」
カナダ、アラスカは、もともとはファーストネイティブの人たちが暮らしていた土地である。そこで、昔から狩猟をしたり、サーモンを捕ったりしていた民族である。
だから、白人や日本人のように、狩りや魚の捕獲数を制限していると生活してゆけない人々が出てきてしまうのである。
ちなみに、川によっては、キングサーモンをワンシーズンで二尾までという川もあったりするのだが、ポールは何尾でも釣ることができるのである。
ポールは、今回、ライフルを二丁持ってきている。
二十二口径のライフルが一丁。
三十二口径のライフルが一丁。
三十二口径の方は、フルメタルジャケットの弾丸を持ってきており、こちらはグリズリー用である。
これはなかなか心強い。
今まで、何度か野田さんとユーコンを下ったことがあるのだが、ライフルはいつも自分たちで用意していたのである。
ライフルを抱えて、夜、テントの中で眠るというのは、これはなかなかコワい。
特に、夜の森の中は、実に様々な音がするので、眼が冴えてなかなか眠ることができない。
ポールがいれば安心である。
そして、前記のような理由で、ポールはいつでも、カモやムースを撃つことができるので、もしも食料が少なくなった時などは、銃で食料を調たつできるのである。
それに、ガイドがいれば、焚き火のことも食事のことも、みんなやってくれるので、ぼくらの遊ぶ時間が多くなるのである。
ポールは、これまで、ずっとカヌーピープルという所で働いていたのだが、この夏から自分で商売をはじめたのである。
日本からのアウトドアのお客をガイドしたり、ツアーの面倒を見たりする会社を作ったのだ。
雨の中を、出発。
湖を漕ぐ。
これまでは、カヤックでツーリングをすることが多く、ずっとダブルパドルで漕いでいたのだが、今回はシングルパドルである。
ぼくが前を漕ぎ、後ろをポールが漕ぐ。
漕いでいるうちに、空が晴れてきた。
三時間ほど、漕いで、湖の流れ出しに入ったところでキャンプをする。
キャンプ地のすぐ眼の前の水面のいたるところで、グレーリングがライズをしている。
天国のようなキャンプ地であった。
夕刻に、川の中の川虫が水面に上がって、そこで羽化し、空中に飛びたつ──これをねらって魚が活性化するのだ。
この虫のハッチに合わせて、魚のライズが始まるのである。
この時に、釣りをすると、魚の警戒心が薄くなっているため、実にたくさんの魚が釣れてしまうのである。
さらに言えば、日本ではこの夕まずめの黄金の時間帯が二〇分ほどしかないのだが、ここはかなり緯度が高いため、太陽がなかなか沈まない。
たっぷり、二時間ほど、この天国のような時間帯が続くのである。
日本の、渓流の仕掛けを作る。
六・二メートルののべ竿に、ラインをつけ、玉浮子(うき)、ガンダマのオモリ、それにエサのかわりに毛鉤をつけた仕掛けである。
これを振り込むと、ぐいと浮子が沈み、合わせるとたちまちぐいぐいと赤い玉浮子が水中を走ってゆく。
竿は、先が水面に潜り込みそうなほどしなっている。
四〇センチを超えるグレーリングを釣りあげる。
この入れがかり状態がしばらく続いた。
彦いち師匠も、ぼくに続いて、何尾か釣りあげる。
夜の焚き火で、コーヒーを飲みながら、
「ポール」
と、ぼくは声をかけた。
「アイム・ハッピー」
ぼくは言った。
日本でのあれやこれやの疲れが、うそのように背中から抜けてゆくのである。
十日も続く旅の、第一日目は、こうして暮れていったのである。
(次号に続く)