野田さんが、雨と風の中でまたハーモニカを吹く。
「たんたんタヌキの───」
で知られる替え歌のあるあの曲である。
吹き終わってから、
「これは、葬式の歌なんだ」
そう言って、野田さんはこれを英語で唄った。
歌詞を日本語にすれば、
「こよい、我ら河のほとりに集わん・・・・・・」
で始まるしみじみとした友を送る歌である。
「なんで、あんな歌詞をあてちゃったんだろうなあ」
そして、日本の川や海や、水辺の話になった。
このところ、こういう話題になると、暗い話が多い。
日本の川の多くに必要のないダムが造られ、河川工事によって、日本の水の周辺はぼろぼろになってしまっている。
先日行ったあそこの川が、もうダメになっちゃった。
一年前のあのポイントは、今は堰堤ができて浅くなっちゃっている。
外来魚で、雑魚がほぼ全滅。
湖や海が埋め立てられて、もう遊べなくなった。
この時もそういう話になった。
「おれはね、一度でいいからさ、死ぬまでに、責任者をおもいきりぶん殴ってやりたいよ」
しみじみと野田さんは言った。
「それで、おれはもういい」
もう、長良川や吉野川などのことで、十数年も我々は闘い続けてきた──その実感である。
しかし、誰が責任者か。
それが見えない。
我々は、お酒を飲みながら、誰をぶん殴るか、という話をした。
「でも、誰を殴ればいいんだろうなあ」
政治家なのか。役人なのか。企業なのか。それとも、我々ひとりひとりなのか。
「もし、殴るやつが決まったら手伝いますよ──」
「どうしたらいい?」
「作戦を考えましょう。いきなり玄関に立って、殴りに来たと言っても会えないでしょうから、ひっぱり出せばいい」
「どこへ」
「みんなのいる所へ。公開討論会でもいいです。たくさんの人が見ているところで、おもいきりくらわせてやりましょう」
「しかし、向こうが出てくるかな」
「まず、相手を褒めましょう。最近の○○氏は評価できる、彼も国のためにがんばっている──こんなことを言ったり書いたりして、対談するところまでもっていきましょう」
「うん」
「その会場で、殴る」
「しかし、素手で殴ると、こっちの手が痛いんだよな。くだらん人間を殴って、こちらの手が傷つくというのもくやしいなあ」
「じゃあ、何かで殴りましょう。あらかじめ、そういう殴るものを持っていくと、罪が重くなりますから、その時たまたま身につけていたもので叩くというのがいいですね。そうだ、下駄なんかどうですか、下駄。はいていた下駄で叩く──」
「下駄かあ」
「下駄でいきましょう」
呑むほどに、酔うほどに、話はとりとめなくなってゆくのである。
最後に、野田さんが、ハーモニカで「シェナンドー」を吹いて、眠ることになった。
テントに入り、寝袋に潜り込む。
テントのフライシートに、ばらばらと雨が当たり続ける。
雨は小降りになったが、風はまだ強い。
遠い空のどこかで風が始まり、山々をざわめかせながら近づいてくる。
ざあっ、とテントの上の樹々を揺すりあげ、またその風が去ってゆく。四方八方で風が起こり、近づいてきて、また去ってゆく。
世界の全てが風だけになってしまったようである。
自分の身体の内部からも、地面の底からも、あらゆるところから風が吹いてくる。
寝袋の中で丸くなっていると、急に、世界中の人たちに優しくしたくなってしまう。
妙な気分だった。
森の底は、降りつもった枯れ葉で、ふかふかのベッドのようだ。
いつの間にか、風の音を聴きながら眠ってしまう。
翌朝───
眼を覚ますと、
「これを見ろ」
ポールが言った。
ポールは、我々のキャンプサイトの樹の軒を指差している。
見ると、そこに、動物の毛がくっついている。
「これは、グリズリーが、縄張りを示すために、自分の身体をこすりつけていった跡だ」
驚くようなことを言い出した。
「昨夜のこと?」
「いいや。もっと前だと思う。でも、怖がると思って、昨晩は言わなかったんだ」
よかった。
ほんとうに、昨夜、このことを教えられたら、怖くて眠れなかったろう。
31日、朝、出発。
曇り。小雨。晴れ。これが交互にやってくる。
まことにユーコンらしい天候である。
小さな流れ込みがあったので、そこでグレーリングを釣り、昼食。
砂地に、何かひきずったような跡がある。
「グリズリーが、サーモンをここでつかまえて、森の中まで引きずっていった跡だよ」
ポールが言う。
またカヌーを漕ぐ。
広い河原のあるキャンプ地を発見、上陸。
「ここで、二泊しよう」
野田さんは言った。
さっそくテントを張り、ザックの中から濡れたものを出し、河原中にそれを広げて乾かしていると、ポールが銃を持ってやってきた。
「これを撃ってみるか」
ポールは言った。
(以下次号)