二十二口径、ボルトアクションのライフルである。
一発ずつ、弾をこめ、二〇メートルほど離れた場所に置いた、ビールの空きカンを撃つ。
彦いち師匠は、なかなか当たらない。
ぼくは、何度か経験があったので、二発目で当てる。
ポールがやると、百発百中、みごとに当たってカンが空中に跳ねあがる。さすがである。
その後、日本から持ってきた汁粉を彦いち師匠が作り、ぼくが豚汁を作った。
たっぷり時間のあるキャンプは気持ちがいい。
日本ののべ竿で、ポールがグレーリングを釣りあげる。
夜───
大きな焚き火を囲んで、お酒を飲みながら話をする。
熊の話──
「グリズリーの足跡がいっぱいあるが、だいじょうぶか」
ぼくは訊いた。
「問題ない。今、山の上の方にグリズリーはいる。何故なら、ベリーがいっぱいなっているからだ。熊はそれを食べている」
ポールが言った。
「しかし、岸に足跡があるではないか」
「あれは、山から別の山に移動する時に、たまたま通ったものである」
「サーモンを食べるために、川の近くにいるのではないのか」
「それは、山の上にいるグリズリーにくらべたら一部である」
「でも、いる」
「いる」
「今夜、このキャンプに来る可能性もあるのではないか」
「あるが、それは、キャンプ地を目標に来るわけではない。移動中にたまたまキャンプ地を通るだけだ。山にも川にも食料がある。キャンプの食料はねらわない」
「本当か」
「少なくとも、この川では、まだ人がグリズリーに殺されたことはない」
「他の川では?」
「ある」
「ほら」
「だいじょうぶ。グリズリーがやってくるとしたら、あの小さな川に沿って、山から下がってくるだろう。彼は、そこで我々のキャンプを発見し───」
ここで、ポールは、鼻を鳴らして、グリズリーが、臭いを嗅ぐ仕種をする。
「───あちらへ大きく回って、あそこから川を渡って向こう岸へ行って、バイバイさ」
「もし、テントの周囲をグリズリーが嗅ぎ回ったら?」
「ノイズを出せ」
「ノイズ?」
「何かを叩く。大きな声をあげる」
「どのくらい大きな声をあげればいい」
「できるだけ大きく。このくらいだ。ワアオ!」
ポールが、でかい声をはりあげる。
「それで逃げなかったら?」
「逃げるさ」
「だから、逃げなかった時」
「それはつまり、襲ってきたらということだな」
「そうだ」
「ブラックベアーなら、ファイトすることだ」
「ファイト?」
「闘うんだ」
「どうやって」
「こうやって、左腕を出して、左腕に噛みつかせる。その時に、右手で熊の眼の中に指を突っ込むんだ」
「相手が、グリズリーだったら?」
ポールは急に黙り込み、小さく首を左右に振って、
「ベーリー・デンジャラス」
「ファイトする?」
「まず、無理だな」
「じゃ、どうすればいい?」
「こうだ」
ポールは、川原に四つん這いになって、背を丸め、首の後ろを両手でおおった。
「この姿勢で、絶対に動かないことだ。首の後ろと腹さえ喰われなきゃ、生命は助かる。相手は色々やってくるが、動くな」
「色々って?」
「手でひっかいたり、噛みついたり──」
「それでもその姿勢でいるの?」
「そうだ。まず、助からないと思うが、ファイトするよりは、生き残る可能性はある」
「熊よけのスプレーは?」
ぼくは、熊をよけるためのスプレーのことを思い出して言った。
この旅の前に、アウトドアショップで買ってきたのである。
スプレーの中には、カラシだの何だの、強烈な臭いのするものが入っていて、これを熊に襲われた時は、その顔にかければいいと説明書には書いてある。
「無駄だ」
ポールは、ふん、と鼻で笑った。
ぼくが、以前、アラスカでフィッシングガイドから教わった熊対策は次のようなものであった。
山を歩いていて、前方がよく見えない場所やブッシュへきたら、大きな声をあげる。
熊が危険なのは出会い頭であるから、いきなり至近距離で出会わぬよう、ここに人間がいることをアピールして、熊に距離をとってもらうのである。
その時のフィッシングガイドは、次のようにも言った。
「それでもグリズリーに出会ってしまったら、そこにいる全員で横に並び、肩を組むんだ。熊から見て、面積が一番大きく見えるようになって、それから、君たちのできる一番優しい声で、熊に話しかけるんだ」
「英語で?」
「日本語でも英語でもいい。ガールフレンドに言う時よりも優しく──ああ、君はなんてステキなんだ、その毛の色がキレイだよ──そんなことを言いながらゆっくり、ゆっくり退がってゆく。グリズリーが攻撃をしかけてくる距離から、向こうが自ら離れてゆく距離まで退がれば、もうだいじょうぶだ」
そんなことをぼくが思い出していると、
「日本ではどうなんだ」
ポールが訊いてきた。
(以下次号)