もう二十五年以上も昔のことなのだが、北海道の大雪山に行ったことがあった。
その時に泊まった宿の主人とお客たちと話をしていたら、ヒグマの話になった。
「熊は人を襲わない」
などと簡単に言う人もいたが、これはウソ。
すでに書いたが、熊──ヒグマは人を襲うし、人を食べる。
一九七〇年の日高山脈の事件や、吉村昭の小説『羆嵐』(くまあらし)のもとになった北海道の事件の記録を読んでみるといい。
日高事件では、登山中の学生パーティーがヒグマに襲われている。
ヒグマが、学生たちのキャンプに現れ、ザックの中の食料を食べたのである。
ヒグマが残していったザックを、学生たちはとりもどしたのだが、これにヒグマが怒ってしまったのだ。いくら、人間がザックはおれたちのものだと言ってもヒグマには通用しない。いったん手に入れて埋めたら、それはもう自分のものだとヒグマは思っている。ヒグマにしてみれば、学生たちは自分のものを奪っていった憎い相手である。
ヒグマは、このパーティーを何日も追いかけ、ひとりずつ殺していった。
キャンプ中にテントが襲われ、結局三人がヒグマに殺されて、喰われた。
そのことを日記につけている者がいて、事件の内容を今我々は知ることができるのだが、この日記をつけていた人間も、最後には熊に襲われて殺されてしまっているのである。
『羆嵐』の事件では、ヒグマは、わざわざ人家を襲い、何人もの人間を殺して食べた。
子供を守ろうとしてたち向かっていった妊婦を、外にひきずり出して、喰べた。
その熊の糞の中には、人の髪の毛がぎっしり入っていたという話にはぞっとした。
これも、すでに書いたが、星野道夫さんは、カムチャッカ半島で熊に襲われて死んでいる。
星野さんは、アラスカでは、熊のことを知りつくしている人であった。サーモンが川へのぼってくる時期は、熊は人を襲ったりしないと考えていた。
星野さんは、アラスカの自然が好きでアラスカに住むようになり、そこでアラスカの大自然のすばらしい写真をたくさん撮った方である。
初めの頃は、グリズリーが怖くてちゃんと銃を持って山に入っていたのだが、ある時彼はふいに気づいたのだという。
「自分は、自然が好きで、グリズリーが好きで、彼らの写真を撮るために原野に入っているというのに、何故、彼らを殺すための武器を持っているのか───」
以来、荒野の中に入ってゆく時には、銃を持って行かなくなったというのである。
この話を聴いた時には、涙が出そうになった。何故なら、ぼくは、何度かアラスカの川をカヌーで下っており、グリズリーがどれほど怖いかをよく知っていたからである。
そこへ、銃を持たずに入ってゆく。なんて凄い話だろう。
しかし、アラスカではなく、ロシアのカムチャッカで、星野さんは熊に襲われ、生命を落とした。
TVの仕事であった。
カムチャッカのグリズリーの取材。
現地でキャンプ。小屋で眠ればよかったのだが、テントの方がよく眠れるからと、星野さんは自分だけのテントの中で寝たのである。
「サーモンが川にいる頃はだいじょうぶです」
これが生命の分け目となった。
なんと、現地スタッフが、撮影がうまくゆくようにと、グリズリーを餌付けしていたのである。つまり、その界隈の熊は、人間のそばへ行けば喰いものがある、と教育された熊であったことになる。この点、キャンパーが食べ物を放置しないよう教育されているアラスカとは大きく事情が異なっていた。
それで、テントで眠っていた星野さんは、グリズリーに襲われてしまったのである。
で、北海道での話だ。
「ぼくは、ヒグマに襲われたらどうすればいいか、よい方法をふたつ知っている。それを教えてあげよう」
と、宿の主人が言い出した。
「まず、ガールフレンドとふたりで山を歩いていて、ヒグマに出会ってしまったら、君はすかさずこう言えばいい」
・ぼくが熊と闘っている間に、君は逃げろ・
「彼女は、走って逃げる。するとヒグマは走ってゆく方を追いかけてゆくから、彼女が襲われている間に君はゆっくり逃げればよい」
ひどい話だなあ。
「もうひとつ。ひとりでいる時に襲われたらどうするか。死んだふりはだめ。いいかい、ヒグマは人を襲う時は、必ず立ちあがって、このように両手を広げる。その時に、ヒグマのお腹に抱きつくんだ。ヒグマは、自分のお腹に手が届かない(ホンマかいな)から、ヒグマに一番近いその場所が最も安全なんだ」
「でも、いつ逃げたらいい?」
「ヒグマは冬になったら冬眠するから、それまでしがみついていて、その時に逃げなさい」
なあんだ。
いつもお客に言っているギャグなのだろう。
たどたどしい英語でこの話をすると、ポールはおおいに笑っておもしろがった。
その翌日は、一日中読書と昼寝。充実した一日である。
九月二日、朝、出発。
一日中、ひたすら漕ぐ。
九月三日。
この日も一日中カヌーを漕いで、キャンプ。
ビッグサーモンリバーで最後のキャンプだ。
明日は、ユーコン本流に出る。
夜に、なんと美しいオーロラが出た。
月明かりに雲が光っているのかと思っていたら、だんだんとその光が強くなって、緑色に輝き出した。しばし見とれて、テントに潜り込んで眠る。
九月四日、ユーコン本流に出る。
合流点で、日本人のカヌーイストと会い、こちらの持っている肉とビールを物々交換する。
九月五日、パドルを使わず、半日ただ、川に流されてゆく。
水量はたっぷり。
ポールは、カヌーの上で仰向けになり昼寝。
ようやく、ドーソンに到着して、我々の長いカヌーの旅は終わったのであった。