夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第33回》〜京都でのできごと〜

文・夢枕 獏

 迷ったのだが、書くことにした。
 それは、これから書くことがめったにない体験である。ものを書く人間としてこれは我慢ができなかったのだ。
 さらに言いわけをしておけば、すでに関係者の実名がテレビや新聞や雑誌で報道されてしまった後であり、ぼくが書いても書かなくても、関係者への大きな影響はもうないであろうと判断したからである。こういう他人のことを書いてもいいどういう資格もぼくはない人間だが、どうかかんべんしていただきたい。
 今年(二〇〇四年)の七月十五日付の『日刊スポーツ』に、次のような記事が掲載された。
  
  女優淡路恵子(70)の息子(31)が、母の淡路に住居侵入で告訴され、実刑判決を受けていたことが
  14日、分かった。今年5月に都内の淡路の留守宅で金品を物色中に逮捕された。処分保留とされたが、
  淡路は「更正のために心を鬼にした」と話している。この息子は淡路の四男で、故萬屋錦之介さんと
  の間に生まれ、俳優としても活動していた。(略)というのも、四男は1月にも京都で窃盗事件を起こ
  していたからだ。淡路の後援者の寺で、昨年11月から住み込みで働いていたが、1月に寺にあった仏具
  4点を盗んで質に入れ、現金7万円を手にした。窃盗容疑で逮捕され、4月30日に京都地裁で懲役1年
  6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。それから1ヶ月後の「事件」だけに、淡路の堪忍袋の緒も切れ
  た。7月9日に懲役6ヶ月の実刑判決が下り、併合罪の適用で、京都地裁判決の執行猶予が取り消され、
  計2年の懲役に服することとなった。(略)
 この事件については御存知の方も多数いるであろう。
 なんと、ぼくは、この事件の"仏具4点を盗んで質に入れ"る現場に、偶然居あわせてしまったのである。
 一月某日、ぼくは骨董店が建ち並ぶ京都のある通りにいた。京都に出かけたおり、時間があれば立ち寄る場所であり、その日もある店に入って棚に並んだあれこれの品物を眺めていたのである。
 すると、店にひとりの青年が入ってきた。記憶では、青年は頭に帽子のようなものをかぶり、黒っぽい服装をしていた。
 手に、銅製(と思われる)の鉢(のようなもの)を抱えていて、中には金銅製か金メッキ(と思われる)鈷杵(こしょ)が三本入っていた。
 青年は、それを店主に見せ、
 「これをひきとってもらえますか」
 そう言った。
 見た途端に、ぼくはおかしいことに気づいた。箱にいれてあるわけでもなく、風呂敷に包んであるわけでもない品物むき出しで持ち歩き、こういう店に売りに来るというのは、売る側の態度として、どこか妙である。
 「うちは仏具はあつかってないから」
 品物を一瞥してすぐに主人は言った。
 ねばりもせず、すぐに青年は出て行った。
 しばらく、店内で並んだものを眺めてからぼくは外に出て、次の店に入った。
 すると、そこに、先ほどの青年がいたのである。
 すでに、青年は、先ほど抱えていた品物を持っていなかった。あの鉢(のようなもの)と鈷杵は、その店の主人の足元に置かれていた。
 ぼくが店に入った時には、もう、商談が成立していたらしい。
 「じゃ、身分証明書のようなものはある?」
 店の主人は、青年に訊いた。
 「免許証なら」
 青年が、免許証を主人に渡した。
 主人と話をしていた(この間ぼくは店内の品物を物色していて細かいやりとりは記憶にない)青年が言った。
 「自分は萬屋錦之介の息子です」
 そこではじめて、青年の言葉が急に気になってきたのである。以下、ふたりの会話である。
 「でも、免許証と名前が違うけど」
 「それは本名だから」
 「錦之介さんなら、私はファンだったから知っているけど、どちらのお子さん?」
 「淡路恵子の方です」
 「錦之介さんとの子供はふたりだったでしょう」
 「弟が自分です」
 「お兄さんは、交通事故で──」
 「死にました」
 「あなた確か舞台やテレビにも──」
 「NHKの大河ドラマにも出たし、子供の頃、中村獅童とも歌舞伎座の舞台を踏みました」
 「今は、どうしているの」
 「何もやっていません。寺で修行中です」
 「どうして?」
 「自分はクズですから」
 「そんなこと言わないで、がんばりなさい。顔だって、錦之介さんの面影があるし、まだ若いんだから」
 「はい」
 青年は全て用はすんだのに、まだ帰らずにもじもじしている。
 「どうしたの?」
 「もう一本(一万円)いただけませんか──」
 「それはあげられないよ」
 「お願いします」
 「どうして?」
 「実はタクシーを待たせてあります」
 「何を言ってるの。そんな甘いもじゃないよ、がんばるっていうのは。お金ないんだろう。タクシーなんかで帰っちゃダメ。すぐにタクシーを帰して、電車で帰りなさい」
 御主人の言っていることは、ずい分まっとうな意見であった。
 記憶から書いた会話だが、ほぼこのようなやりとりであったというのは間違いない。
 これが、寺から盗んだものを売っていたのだとわかったのは、七月になって、テレビのニュースを見た時であった。
 ああ、やっぱり───そう思った。
 アルコール依存症で暴力をふるうこともあったため、淡路恵子さんからは、弁護士立ち会いで親子の縁を切られていたという。
 つまり、出入りを禁じられていた自分の母親の家に、盗みに入って捕まったことになる。
 「そりゃあ、可愛いですよ。本当に可愛いかったですよ」
 淡路恵子さんは、涙をこらえながら、リポーターの問いにこのように答えていた。
 青年は、あの時、タクシーに乗って帰ったのだろうか。乗らずに電車で帰ったのだろうか。電車で帰ったのであればいいなと、そんなことを今考えているのである。


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