またか、と思われるかもしれないが、釣りに行ってきたのである。
場所は、四国である。
四国の海部(かいふ)川。
今年の全ての釣りは、台風の直撃を受けた。
今回も同様であった。
出発は十月一日だったのだが、その前日に台風21号が四国を襲ったのである。しかし、今回の我々は太っ腹であった。
「台風、来るなら来い」
腰に両拳をあてて、空を睨みながら吼えたのである。
何故ならば、今回は鮎のエサ釣りであったからである。鮎の友釣りは、台風は困る。台風が来ると、水が出て、川を細かい砂が流れ、その砂や小岩が、鮎の食べものである水中の石や岩に付いた珪藻を、サンドペーパーのようにこすりとってしまうからである。
こうなると、鮎がナワバリを持たなくなり、その性質を利用してやる友釣りそのものが成立しなくなってしまうのだ。
しかし、鮎のエサ釣りは違う。
大水けっこう。
珪藻がなくなればなくなるほどよいのだ。
どういうことか。
まず、水が出て、川に大量の水が流れると、鮎は自然に流れのゆるい場所──大岩の陰や、川のカーブしているその内側などに集まってくるからである。
これで、水がひいて来たときがベスト。
さらに、この時期の鮎のほとんどは、主食が珪藻になっている。植物性のものしか食べていない。
海にいる時や、川にあがってきたばかりの頃は、まだ鮎は動物性のものも食べる。だから鮎の毛鉤り釣りなどができるのである。
しかし、本格的に夏になる七月あたりからは、鮎の主食は石に付いた珪藻になってしまう。したがって、エサ釣りや毛鉤り釣りで釣れる鮎は、おおむね型が小さい。
だが、台風の後、川から鮎の主食である珪藻がきえてしまったら、鮎の食性が再び動物性のものを食べるように変化するのである。
つまり、台風の後は、大きな鮎もエサ釣りでがんがん釣れてしまうということになるのである。
だから、大水で家が流されたりするのは困るが、台風が来て水が出ると、鮎のエサ釣り師はどきどきして胸が騒いでしまうのである。
実は、一昨年、このようなどんぴしゃの状況にぶつかって、四国で鮎の大釣りをしたことがあるのである。
その時は、三日あったのだが、初日と二日目は釣りにならなかった。
しかし三日目、ようやく川に入ることができ、朝から昼までで、なんと四十七尾もの鮎を釣ってしまったのである。しかも、アベレージは体長二十三センチから二十五センチという大鮎ばかりである。
二〇年以上鮎をやっているが、その中でも二本の指に入るおもしろさであった。
鮎が掛かれば、きゅんきゅんと糸鳴りがして、一尾釣れば手首が痛くなる。
釣った大物鮎は、握っても指が回りきらないほどだ。
その時のことをまだ手が忘れていない。
だから、今回、
「台風よ、来るなら来い」
と、我々は胸を張って叫んでいたのである。
問題はただひとつ、台風のため、四国にたどりつけないことである。
しかし、なんというタイミングか、台風21号が関東を通り過ぎた直後に、我々は飛行機で羽田を発つことができたのである。
まず、着いた日に肩ならしで、海部川の支流、舟川で午後の二時から夕刻まで釣る。
上から見ると、鮎がうじゃうじゃいるのが見える。
しかし、それ以上いたのが、オイカワやハヤであった。
キャストするたびにアタリがあり、魚が釣れるのだが、そのほとんどが、オイカワとハヤなのである。
オイカワとハヤを十尾くらい釣ると、その中にようやく鮎が混じってくる。
それでも、なんとか十四尾を釣りあげる。
他のメンバーの倍は釣ってしまって、まことに申しわけなくも嬉しい。
翌日。
朝の四時半に起きて、五時に出発。
野根川に向かう。
着いてみると、まだ暗いうちから、土手や橋の上に車が停まり、人がうろうろとしている。
「どうですか」
声をかける。
「昨夜、雨が降って、また水が増えとるねえ」
昨日の夕方下見をして、見当をつけた場所に入っていけなくなっている。
我々は
「とにかく場所をとろう」
そう決心して、一昨年に入った川原に入った。
藪を分け、何本かの流れを渡って、目的の川原に着く。
「じゃ、まず朝メシにしますか」
用意していた弁当を食べはじめたのだが
「ぼくは、その前にちょっと竿を出してみますね」
メシも食わずに、同行のK編集者はいそいそと川に入っていった。
この編集者、知る人ぞ知る『釣りバカ日誌』の初代担当者で、ハマちゃんのモデルと言ってもいい人物である。
「釣れた釣れたァ」
さっそくK編集者が釣りあげる。
もう、弁当を食ってる時ではない。
おにぎり、一個半を残し、さっそくぼくも川に入った。
ああ、釣りました釣りました。
何度も来た台風で、痩せてはいるものの、全部で五十三尾。
型も、一昨年より小さいものの、時おりは大きなものも混じって、実に久しぶりにいい釣りをしたのでありました。