毎度のことと思われるかもしれないが、一月に、網走湖までワカサギ釣りに行ってきた。
いつもの、編集者、イラストレーター、デザイナー、TVディレクター、歯医者、作家という異業種交流会のようなメンバーに、一日遅れで四国から内科医の御夫婦が加わった。毎年、我々は同じメンバーで四国まで鮎釣りに行っているのだが、そのたびに、現地でお世話になっている御夫婦である。
その御夫婦に、いつも我々が、
「氷上ワカサギ釣りはおもしろい」
と吹聴しているものだから、今年はついにがまんできずに、四国からの参加となった。
初日は、昼食をすませ、午後から釣りになった。
マイナス四度くらいで、ちょうどよい。
入漁証を買い、氷の上に出て、足で氷上の雪を掻きどけて、自分の釣るスペース分だけ氷をむき出しにする。
手動のドリルで、氷に穴をあけるのだが、これがまずひと苦労である。氷が堅く、ドリルの刃は長年使い込んで鈍くなってしまっている。三〇センチほどの氷の穴を開けるだけで大汗をかいてしまうのである。
穴があいたら、その穴の中に入っているシャーベット状の氷と雪を、掻き出さねばならない。
これには、テンプラを揚げる時、油の表面に浮いたテンカスをすくい取るのに使用する網杓子によく似たワカサギ釣り専用のものを使う。
穴の上に直径が、およそ十五センチ。
その穴にちょうどいい大きさと、長さのものが、現地で売っているのである。
その作業がすむと、穴の上に透明プラスチックの筒──直径二十五センチ、長さ三十五センチほどのものをかぶせる。
北海道の方たちはやらないが、我々はこの筒を使うのである。釣り道具屋で売っているようなものではないので、自分で業者に行って、特別に輪切りにしてもらい、それを買ってくるのである。
このプラスチック筒は、小さなワカサギのアタリを、風に邪魔されずにとるためのものである。ワカサギのアタリは、竿先でとる。そのため、ワカサギ用の竿は、竿先がとても柔らかい。ぼくらのメンバーの使っている竿は、どれも手作りであり、レントゲンのフィルムを竿先に使用している歯医者さんもいるのである。だから、わずかの風でも竿先が揺れて、アタリがわからない時があるのだ。プラスチック筒は、その風を避けるためのものなのである。
次は、穴の前に椅子を置いて、仕掛けの用意である。
ぼくの場合は、仕掛けや道具を入れてある箱が(ぼくが図面を書いて特注で作ってもらったもの)そのまま椅子になる。
箱から、テーブルや、ワイン台(箱の中に収納されている。ワイン台というのは、氷上で飲むワインの入ったコップを置くためのものだ。このワインはホットワインになっているのだが、すぐ飲まないと、たちまち凍りついてしまう)を周囲に置き、竿を出し、五つある鉤に、ラビットと呼ばれる小型のサシ(ウジ、ハエの幼虫である)をつけ、タナ(深さ)を調整していよいよ釣りである。
しかし、
「釣れないなあ」
「ううむ」
すでに準備をすませ、先に釣りはじめている者たちから、呻き声のごときものが聴こえてくるではないか。
「やっと一尾」
という声もある。
いつもであれば、
「わ、釣れた釣れた」
「また釣れちゃったぞう」
にぎやかな声があちこちから聴こえてくるのだが、今回はそれが聴こえてこない。
ぼくは、下ろした仕掛けにさっそくアタリがあり、
「やった」
声をあげてアワセたのだが、ワカサギがのってこなかった。
スッポ抜けである。
しかし、周囲の人たちの呻き声を聴いているので、たとえ最初の一尾をばらしても、ぼく自身は「しめしめ」であった。
なにしろ、投下してすぐにアタリがあったのである。
そんなわけで、他の穴はともかく、この穴は最高に違いないと、ぼくは考えてしまったのである。
他の者がほとんど釣れないのに、自分だけが釣れてしまう。
はっきり言って、これが釣りの醍醐味である。
・今日は、これでおれがぶっちぎりじゃあ・
心の中で勝利宣言をしてしまったのである。
なんともイケナイワタシ。
なにしろ、ワカサギの釣果は、一にも穴、二にも穴である。穴で釣れる釣れないが決まるといっていい。
何しろ、氷の下のことはわからないので、最初に穴を開ける時はカンである。下に、ワカサギの大きな群れがいるか、小さな群れがいるか、それとも一尾もいないか、これは運であり、賭である。よい穴にあたれば、爆釣となる。
ダメな穴は見捨てられ、皆からは、・ゴケアナ・と呼ばれ、釣ってもらえない。
誰か釣れていれば、「ようしオレも」と言って、釣れてない者が寄ってきて、その穴の近くに穴をあけるのは、よくあることである。
ある商売で、もうけたやつがいれば、同じ商売をするやつが現れるのと同じである。しかし、ワカサギ氷上穴釣りの場合は、釣れている穴に、恥知らずにも寄ってゆき、隣に穴をあけても、たった三〇センチはなれているだけで、まるで釣れないことがよくあるのである。そうすると、寄っていったあげくに釣れないだけではなく、最初からそこで釣っている人間が、
「また釣れちゃったあ」
喜んでワカサギを釣りあげるのを目の前で見なくてはならない。
これはたいへんにくやしい。
そのくやしい思いを、今年はしなくてすむのだと、最初のアタリでぼくは考えてしまった。
しかし、それが、大きな間違いであったのである。
(以下次号)