夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第40回》〜氷上のワカサギバトル 魔の穴その2〜

文・夢枕 獏

 最初にあけた穴で、アタリがすぐにあったため、そのアタリをとりそこねたにもかかわらず、ぼくは心の中で勝利宣言をしてしまった。
 だが、その後がよくなかった。
 アタリはその時ただ一度きりで、その後、竿先はピクリとも動かないのである。
 釣れないなりに、周囲では、ぽつり、ぽつりとワカサギがあがりはじめている。
 これはイケナイ。
 仕掛けを上下させ、誘う。
 横に動かす。
 ゆっくり上に持ちあげてゆく。
 フカセ釣りにする。
 氷のすぐ下から、底まで、あらゆるタナをさぐってゆく。
 それでも釣れないのである。
 知っているテクニックを駆使して三〇分。
 一尾も釣れてないのはぼくだけとなってしまった。
 一尾だけ釣れている者一名、二尾の者二名、残り三名は、ぽつりぽつりと釣れている。四国御夫婦は、この時点ではまだ合流しておらず、まだ七名の勝負であった。
 七人もいて、一尾も釣れていないのが、ぼくひとり。
 こんな最悪のことがあってよいわけはない。
 場所を移動した。
 他の場所に穴をあける。
 新しい穴に仕掛けを下ろすと、すぐにアタリがあって、やっと一尾目をゲット。しかし、ここも次が続かない。アタリがあったのは最初だけで、次のアタリがない。
 また、穴をかえる。
 穴をかえるといっても、そのつど、三〇センチほどの厚みのある氷に、自らの力でドリルを回して穴をあけねばならないのである。これが、実は大仕事なのだ。
 その穴で一尾。
 しかし、後が続かず、また別の穴をあける。
 そこで一尾。
 また、次が続かず、さらにまた穴をあける。
 ひとつの穴で一尾ずつ釣りあげてゆくのだが、これがしんどい。穴をあけるのに体力を使いはたしてしまった。
 時おり、昔の穴にもどる。
 「バクさん、またゴケアナにもどっちゃったの?」
 仲間からからかわれてもいい。昔の穴の状態が時間を置くことによってよくなっているということは、時おりあるからである。しかし、昔の穴にもどってもアタリはなくぼくは穴をあけ続け、ようやく当たり穴にぶつかった時には、夕方近くになっていた。
 なんと、氷のすぐ下で、釣れているのである。ここで、猛チャージ。氷直下が釣れなくなると底がよくなり、底が釣れなくなると氷直下がよくなるといったぐあいで、これに上手に対応してゆくことで、ぼくはようやく数を増やすことができたのである。
 竿を納めた時には八十七尾になっていて、成績はなんと、四番目くらいのところへようやくくいこんだのである。
 夜は焼き肉屋で、肉をたらふく詰め込む。
 体重が一キロは増えたことであろう。ここのホルモンがうまくて、ついつい詰め込んでしまうのだ。その後に毎年ゆくラーメン屋で、ラーメンとギョウザ。
 次の日は、早朝から氷上のワカサギ釣りである。
 皆、昨日の実績のあった自分の穴にむかうのだが、あら不思議、昨日釣れた穴が、一日たったらいずれもダメになっていたのである。
 皆、またあらたに穴をあけなおすこととなった。
 しかし───
 それで、釣れたのはNHKディレクターのS氏のみ。
 他の者は、全員ぽつり、ぽつりとしか釣れないのである。
 自然に、皆、少しずつ次にあける穴を、だんだんとS氏に近づけてゆくのだが、釣れるのはS氏だけなのであった。
 「もう恥をかきついでに、おもいきり近くに穴をあけるか」
 編集者のK氏が、S氏に身体が触れそうなほど近くに穴をあけた。そうしたら、
 「わ、釣れた釣れた」
 なんと、K氏にアタリが出はじめたのである。
 ぼくは、少し離れた場所で、ぽつりぽつりと釣っていたのだが、そこへ現れたのが、このコラムでも書いたことがあるSWA(創作話芸アソシエーション)の神田山陽さんであった。
 先日、SWAを観に行った時の打ちあげの飲み会で、
 「オレ、今度、網走までワカサギ釣りに行くんだけどさあ」
 ぼくがそう言ったら、
 「ぼくの実家、網走です。その頃、家にもどってます」
 山陽さんが言うのである。
 「いつも、湖畔荘の前あたりで釣ってるんだけど──」
 「家から十分で行けます」
 「じゃ、アソビにこない?」
 「行きます行きます」
 これが本当にやってきたのである。
 ぼくの仕掛けを山陽さんに貸してあげて、彼も釣ることになった。
 「この穴、いいスか」
 ぼくが、釣れずに見捨てた穴で、山陽さんが釣りはじめた。
 すると、すぐに、
 「わ、釣れたぞ」
 山陽さんの竿にアタリが出はじめて、
 「また釣れた」
 「また釣れちゃったあ」
 次々に、彼がぼくのすぐ横でワカサギを釣りあげてゆくのである。ぼくの見捨てた穴、ぼくの仕掛けである。繰り返すが、ぼくの目の前なのである。
 あってはならないことがおこってしまったのである。
 「小学校の頃、学校の授業で、ワカサギ釣りに来たことがあるんだけど、その時、一番釣るのは、いつも上手なやつじゃなくて、寒さに対してがまん強いやつだったなあ」
 山陽さん、余裕の言葉であります。
 帰りがけに、山陽さんが置いていったワカサギ、ぼくがいただいて、しっかり食べさせていただきました。
 ごちそうさま。
 また、やりましょう。


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