夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第43回》〜シルクロード・西域南道をゆく〜

文・夢枕 獏

 五月十七日──
 都内のホテルで、七時に起きる。
 昨夜、ぎりぎりまで仕事をしていたので、眠ったのは三時間くらいである。
 双葉社の『小説推理』で連載している『東天の獅子』を書こうとしていたのだが、ほとんどできずに眠りについたのである。
 出発前には終わらせておきたかったのだが、十九日に中国から送ればなんとか間にあうと思っているため、ついつい資料を読むことで時間を使ってしまったのである。
 あちらのFAX事情がよくないので、なんとか、ウルムチかカシュガルで書き終えればいいのだが、これまでの経験値で、
 「なんとかなる」
 との自信もある。
 これまで、海外に出たことが理由で原稿を落としたことはないのだ(といっても、枚数が一割ほど減ってしまうことはあるから、いばれないのだが)。
 とにかく、行ってしまえばこっちのものだ。
 まだ、自分に、西への旅への意欲があることを確認するための旅でもある。
 結局、以下の原稿を、シルクロードまで持ち込むこととなってしまった。
  ・『東天の獅子』 二十五枚。
  ・『現代カシュガル事情』 十四枚。
  ・『現代ホータン事情』 十四枚。
  ・西村寿行氏の文庫解説 一〇枚。
  ・SF作家クラブへ送るエッセイ 四枚。
  ・『キマイラ青龍変』 二十五枚。
 あわせて九十二枚。
 これを、十五日間で、旅先で書かねばならない。
 一日六枚から七枚書けばなんとかなるだろうと覚悟をした。
 今回は、久しぶりに、カメラを持ってゆくことにした。
 一九九三年に、チベットへ行った時に撮っていらい、十二年間、ほとんど写真らしい写真を撮ってこなかったのだ。
 理由は幾つかある。
 大きな理由としては、カメラを持ってゆくと、つい「作品」を撮りたくなって、旅先で、心が分裂してしまいそうになるからだ。
 ぼくのカメラは、ニコンF4であり、これが、まず、でかくて重い。交換レンズや三脚などを合わせるとたいへんな重さになってしまうのである。
 撮ってくれば、それを本にしたくなるに決まっているし、あちらこちらで発表したくなってしまう。
 これがたいへんなのである。
 だから、最近は、ほとんど、空港で買った使い捨てカメラを使って、記念写真をぽつりぽつりと撮るだけというのが多かったのだ。
 デジカメという手も考えたのだが、あれだとどうも撮った気分になれなくて、使ったことがない。この際おもいきってということも考えたのだが、デジカメを選び、その機種を使えるようになるための時間が、すでになかったのである。
 で、ニコンF4を一台──レンズは、ズームニッコールの35ミリから70ミリを一本。
 ズームニッコールの80ミリから200ミリを一本。
 小型の三脚をひとつ。
 十二年前のチベットの時は、この組み合わせに、24ミリのレンズを一本持って行ったのだが、今回はナシ。
 実はNHKから、ビデオカメラを一台借りて、それを持ってゆくことになっていたからである。
 荷がどんどん増えてしまうのを避けたかったのだ。
 なぜ、NHKがビデオカメラを貸してくれたのかというと、それには事情がある。
 今(2005年五月〜六月にかけて)、『知るを楽しむ』という番組のための収録をやっているからである。
 全部で八回分、ぼくが好きな歴史上の人物たちについて語る番組である。
 空海、阿倍仲麻呂、玄奘──こういったシルクロードや長安に縁の深い人たちについて語ることになっていて、
 「今度、シルクロードに行くんですよ」
 そういう話をスタッフにしたら、
 「じゃあ、ビデオを撮ってきてくれませんか──」
 ということになってしまったのである。
 さらに、釣り道具も持ってゆく。
 砂漠を流れている川で、釣りをするためである。
 ちなみに、持っていった本は次の通りである。
  『城塞』司馬遼太郎 上・中・下
  『唐詩選』上・中・下
  『大都長安』室永芳三
  『量子進化』ジョンジョー・マクファデン
  『ニヤ遺跡の謎』東方出版
  『長安の春』石田幹之助
  『愛の重さ』アガサ・クリスティ
  『史伝西郷四郎』牧野登
  『シルクロード詳図』
  『地球の歩き方』
 全十四冊。
 これもかなり重い。
 手荷物用のバッグに分けたが、それでも、メインバッグの重さは、三〇キロほどになってしまった。
 仕事の道具、ビデオ用の電池や充電器などもあるので、そのくらいになってしまうのである。
 ・荷を背負って歩く・
 ということがほとんどないとわかっていたからこそのことだが、それにしても本は半分くらいに減らした方がよかったかもしれない。
 旅先で、読む活字がなくなることの不安からついつい持ってゆく本が多くなってしまうのである。
 以前、モンゴルで、宿に閉じこめられたまま、ついに読む本がなくなりそうになったことがあった。
 同行の野田知佑さんが言った。
 「獏さん、読む本がなくなったらどうする」
 「だいじょうぶです。毎晩ぼくが短編一本書きますから」
 今回のような場合は、ぼくが書き、寺田克也さんに絵を書いてもらえばそのまま一冊の本になってしまう。
 ともあれ、ぼくは、その朝、どうにかこうにか、午前九時に、成田空港にたどりついたのであった。
 (つづく)


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