文・夢枕 獏
もう、十年以上も前になるのだが、辰野さんは、ジャズの渡辺貞夫さんと、チベットを旅行したことがある。
その時に渡辺貞夫さんから、笛をならったのである。
渡辺貞夫さんと言えば、あのナベサダである。音楽方面は不得手なぼくだってどういう方かは知っているし、生演奏だって聞いたことがあるのである。
チベット旅行中のおよそ一か月、毎日、辰野さんは笛を吹いていたのである。これが、日本へ帰ってからも続いた。どこへ出かける時も笛を持ってゆき、
「オレの笛聴きたい?」
相手の返事を待たずに笛を吹きはじめるのである。
ほどなく、自分で笛を作ったりするようになり、持ち歩く笛も、一本、二本、三本と増えてゆき、ついには、カヌーのパドルに穴をあけ、パドルを横咥えにして、それを吹くようになってしまったのである。
・平成の笛吹き童子・
というのが、辰野さんの通り名になってしまった。
モンベルの支店が恵比寿にある佐藤さんの事務所の近くにあり、東京に出てきた時に、辰野さんはよく佐藤さんのところへ遊びにゆく。
「辰野さんが来る時は、もう、通りを歩いている時からわかるんだよ」
と佐藤さんは言うのである。
「下の通りをさ、笛の音が近づいてくるんだから──」
なんと、辰野さんは、恵比寿の駅前の通りを、笛を吹きながら歩いてくるのである。
おそれおおくも、天下のナベサダと同じ舞台にあがって笛を吹き、宇崎竜童さんとも一緒のステージにあがって笛を吹き、四万十川で吹き、四国の吉野川でも吹き、上野の水上野外音楽堂でも吹き、プーケット島でも吹き、バスの中でも吹き、ほとんど吹いてない場所はないくらいである。このほとんどの現場に立ちあっているぼくが言うのだから、間違いはない。
入社試験の面接の時も、いきなりこの社長は笛を取り出して吹いた。
「社長の笛を聴くか聴かないかが、出世に影響するらしい」
という、まことしやかな噂も流れたりしたのである。
実はぼくらは年に一回、「大人の遠足」をやっている。
メンバーはカヌーイストの野田知佑さん。北海道でアリス・ファームをやっている藤門弘さん、カメラマンの佐藤秀明さん、そして、辰野さんとぼくの五人。
そろそろ、皆髪に白いものが混じりはじめた頃であり、・白髪五人男・と自称している。
みんな、冒険家と言ってもいいような人たちばかりであり、いずれもアラスカ、ヒマラヤ、チベット、モンゴル、ヨーロッパアルプス、アフリカ、南米などの辺境域で、なかなかしんどい旅をしてきた(今もそれを続けている)経験がある。
この五人で、あぶない場所はできるだけ避けて、
「楽しく、危険はなく、のんきで、毎日ごろごろしていてもよく、ビールがうまい」
という旅を、年一回やっているのである。
これが・大人の遠足・である。
この旅にも、辰野さんは笛を持ってくるのである。
「あの笛をなんとかせねばならん」
と立ちあがったのが藤門さんであった。ある時、バスに乗っての移動中、辰野さんがちょっと席をはずしている時に、大きな紙に、
「笛禁止」
と書いて、バスの中に貼った。
もどってきた辰野さん、少しもめげずに、
「これは笛を聴きたいという意味だな」
と勝手に解釈して、またもや笛を吹きはじめたのである。
以来、我々が集まる時、辰野さんより先に来た者は、必ずこの「笛禁止」の貼り紙を作って、現場に貼り出すようになったのである。
しかし、この十年間、聴かされるたびに、辰野さんの笛は以前より上手になってゆき、以前とは比べものにならないくらい上達した。
しかし、いくらうまくなったとはいえ、
「いつでもどこでも、どんなシチュエーションでも吹く」
というのはあいかわらずで、つまり、
「笛禁止」
の貼り紙は、いまだに続いているというわけなのであった。
「すぐに、この貼り紙の意味はわかるよ」
個室を出る前、ぼくは皆にそう言った。
やってきた辰野さんは、貼り紙に気がついた途端、嬉しそうに、
「もちろん、持ってきたよ」
バッグの中から、布に包んだ笛三本を取り出した。
もう、辰野さんには「笛禁止」の貼り紙は、
「笛吹いてもらえるの?」
というほどの意味しか持たなくなってしまっていたのである。
ともあれ、メンバー全員が北京でめでたく合流したのだった。
北京出発が、19時10分。
ウルムチ到着が、22時55分。
ここで、今回の旅を通して我々と同行する通訳兼ガイドの女性、ミナワさんの出むかえを受ける。
ウイグル人であり、回教徒であり、ウイグル語、中国語、日本語をしゃべることができる。
日本語については、助詞の使い方が正確で、これまであちこちの国で外国人の日本語通訳の方にお世話になっているが、その中でもベスト3に入るくらいに日本語がよくできるのである。
ウルムチに着いて、さっそく出てきたほとんど意味のないダジャレの、
「うるうるムチムチ」
がわかるばかりでなく、自らも、日本語でオヤジギャグをかっとばしたりできるのである。
楽しい旅になりそうであった。
(つづく) |