夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第46回》〜シルクロード・西域南道をゆく〜  その4

文・夢枕 獏

 朝、八時に・環球大酒店・(我々のウルムチでの宿)の最上階にある食堂に、集合。
 360度の眺望が、ここからは楽しめる。
 雪をかぶった天山の山並みが窓の外に連なっている。最高峰であるボゴダ峰(五四四五メートル)は、さすがに遙か高く見える。
 近くには高いビル群が建ち並んでいるのが見え、眼下の道路をびっしり埋めて、車が走っている。驚くほどの速さで、中国(ウルムチ)が変貌してゆくのが実感できた。
 二〇年近く前に来た時には、もちろん我々が宿泊したこの宿などなく、車の数もこれほど多くはなかった。今はどこにでもありそうな中国の都市のひとつだ。窓の向こうに天山が見えなければ、とてもここが、シルクロードのウイグル自治区とは思えないだろう。
 朝食は、バイキング方式で、野菜や果実が多いのがありがたい。
 彦いっちゃんも白鳥さんも、すでに足まわりは、リラックスのビーチサンダルに半ズボンである。
 「我々は男どうしであり、これからの旅は、・屁をがまんしない・ということでいこう」
 ぼくが提案すると、さっそくこれは拍手をもって受け入れられることとなったのである。
 さて、ウルムチは、新疆(しんきょう)ウイグル自治区の首都(区都)である。
 人口一六一万人。ウイグル族、漢族、カザフ族、モンゴル族、回族など、合わせて四十二族(『地球の歩き方・中国』2005年版)がこの地域で生活している。
 夏は三〇度以上になり、冬にはマイナス二〇度以下になる。その温度差は五〇度以上である。
 ウイグル人は、基本的にはイスラム教徒であり、西洋風の鼻の高い貌だちをした人や、眸のあおい人たちも多い。
 昔風の言い方をするなら、胡人(こじん)である。
 「胡(こ)」というのは、古来、西から入ってきたものにつけるもので、人間ならば人につけて・胡人・となる。
 ・胡麻(ごま)・・胡瓜(きゅうり)・なども、皆西からシルクロードを通ってやってきたものだから・胡・の字がついているのである。
 この日は、朝のフライトであったのだが、急に便が変わって、夕方の出発となり、一日ウルムチで時間があくことになった。
 ロビーで、通訳のミナワさんと合流して、相談をする。
 「博物館に行きたいのですが」
 ミナワさんにお願いして、博物館とバザールを案内してもらうことにした。
 何しろ、ここの博物館は、ミイラ館と呼んでもいいくらい、シルクロードのあちこちから出土したミイラが陳列されているのである。タクラマカン砂漠という乾燥地帯に埋まっていたため、保存状態がよく、有名な桜蘭美女のミイラもここにある。
 一体は、日本のシルクロード展の目玉として東京の・江戸博物館・に行っていた(ぼくは日本でこれを見てきた)が、ほとんどはここに残っていた。
 何体ものミイラを見たが、髪の毛などもまだきちんと頭部から生えた状態で残っており、中には、睫毛まで残っている女性のミイラもあった。
 ミイラと言えば、エジプトが有名であり、チベットにもあり、南米のインカ文明もミイラで有名である。
 そして、もちろん、わが日本にもミイラはある。
 世界のミイラのほとんどは、死後、その屍体を保存するための作業をあれこれとほどこして作られたものが多いのだが、日本のミイラは、世界的に見てかなり異質である。
 日本のミイラ──たとえば、東北の湯殿山にある瀧水寺の真如海上人のミイラなどは、本人が自らミイラとなることを望み、まだ生きているにもかかわらず、わざわざミイラとなるために死んだものだ。
 それも、ただ死ぬのではない。
 ミイラになりやすい身体を作るため、肉やあぶらっこいものを口にせず、だんだんと食を減らしてゆき、最後には水だけを飲み、その水もだんだんと飲む量を減らしてゆくのである。
 土中に穴を掘り、その中に座して、ただひたすら読経しながら死んでゆく。
 なんとも激しい修行である。
 そのため、ミイラは人々の信仰の対象となって、流行病(はやりやまい)があったりすると、人々はこのミイラの肉を削りとって、それを飲んで病を治そうとしたのである。
 実際に、医薬品としてどれほどの効果があったかはわからないが・プラシーボ効果・によって(実際には薬用効果のないものを、薬だと信じこませて服用させると、現実に効果があること)、人体の免疫機能が活性化して、本当に病気が治った人もいるはずだ。
 ともあれ、本人の自由意志によって生きているうちに自らミイラになるという例は、ぼくの知る限り日本だけではないか。
 というわけで、博物館では信仰の話となり、
 「イスラム教では、一日に五回、お祈りをすることになっているけど、ミナワさんはやっているのですか?」
 ぼくは、昨日から気になっていることを訊ねた。
 「いいえ、わたしはほとんどやりません」
 まあ、仏教徒である日本人でも、今、お盆にわざわざ帰省して、迎え火や、送り火を焚く人たちはそうたくさんはいないので、そんなところだろう。
 この博物館を出る時に出口(入口)近くに土産品を売るコーナーがあり、ぼくはそこで係員につかまって、衝立で仕切られた奥の一画に案内された。
 なんとそこには、土産品のコーナーに並んでいるものよりずっと古そうな仏像やら、トンボ玉やら、ネックレスなどが並んでいるではないか。
 「ここにあるものは、みんなホンモノです」
 係員が日本語で言う。
 ふうん。
 ほんまかいなと思っているうちに、おもしろそうな硯をひとつ見つけて、それを買うことにした。
 「いくら?」
 「八万円」
 うーん、どうしようか。
 (つづく)


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