文・夢枕 獏
件の硯(すずり)は、
「端渓(たんけい)である」
と係員は言うのである。
端渓とは、中国では昔から有名な硯石の産地であり、そんじょそこらの硯ではない。
そのくらいの知識ははばかりながらぼくも持っているのだが、いかんせん、その硯が本当に端渓のものであるかどうかを見抜く眼力がないだけなのである。
しかし、見た目は、古そうである。
しかも、件の硯の裏側には・目・も入っている。
縁は、すれていて、彫ってある牛も、なかなか様子がいい。何よりも、見ていて飽きないのである。
少なくとも、土産品や、わざと時代をつけたニセモノの骨董品とも思えない。
これまで、世界各地で、このぼくは怪しい絨毯屋から絨毯を買ったり、トルコ石のネックレスを買ったり、仏具や、仏画を買ったりしてきた。その中には、ニセモノもありまた、まがいものもあり、しかし、本物だってそこそこは混じっている(と思う)のである。
まがいものではない──というところではまず、確かなところであろうと踏んだ。
あとは、値段と品物とのバランスである。
価格は適正であるか──しかし、これは、つまるところ、ぼく個人がどう考えるかというところにどうしても帰結してしまう。
八万円というお金を出しても欲しいかどうかである。
欲しい。
実は、この三年、時おり書を書いたりして遊ぶことが多くなっていて、どこかへ出かけるたびに、その土地その土地の紙やら筆やらを買い込んだりしているのである。
今回も、旅行中に、筆と硯と紙は、どこかでチャンスさえあれば買い込もうと考えていたのであった。
ただ、ここでぼくが迷ったのは、八万円でも欲しいが、
・ねぎらずに言い値で買うのはくやしい・
という考えが、心の中にあったからである。
そもそも、これがネパールであれば、半分かそれ以下にはねぎることができる。どんなに悪くとも、三分の一はまけさせることができる。国や場所によっては、十倍の値段をふっかけてくることだってあるのだ。
これが、仮にネパールのインドラチョークあたりの店であれば、何軒かまわって、似たような品物をねぎってみれば、おおよその相場はわかる。
安くならないなら買わない。
「ネクストタイム」
そう言って店を出ようとすれば、
「ちょっと待った」
店員が声をかけてくる。
「おまえの言い値で売る」
ということになる。
しかし、ここは博物館であり、他に似たような店は一軒もない。
相場はわからないが、とにかくねぎることにした。
「五万円」
とぼくは言った。
・おう・
と、これがネパールであれば、係員が両手を広げて大げさに驚いてみせるところなのだが、博物館の係員は、静かに首を左右に振って、
「少しならば安くできますが、その値段では無理です」
落ち着いた声で言うのである。
何度か互いに値段を出しあって、結局、七万円ということでぼくはその硯を買ったのである。
帰ってきてから、ぼくの書の師である書家の岡本光平さんにこの話をしたら、
「うーん」
首をひねって、複雑な表情をした。
「ニセモノの可能性がありますか」
「あります。しかし、見ないうちは何とも言えません」
「では、今度、機会があったらお見せしますので、鑑定して下さい」
ということになった。
おそらく、この原稿が活字になる頃には、その結果が出てると思うので、その時はここできちんと報告をしたい。
話をもどそう。
その裏のコーナーで、さらにぼくは、トンボ玉をふたつ買った。ひとつ一万円。色のついたガラス玉で、古代の人がネックレスなどに使っていたものだ。これが、シルクロードのあちこちの砂の下から出てくるのである。
それほど珍しいものではないが、ニセモノもまた多く出まわっている。
これは、ニセモノかホンモノかということでは半々だが、記念品として買ったので、どちらであってもそれはそれでいい。
裏のコーナーから出てくると、辰野さんが夜光杯を捜していたので、それを横から見物することにした。
見ていると、さすがに大阪人である。
きっちりねぎった後に、店の小物を指差して、
「これをおまけにつけてくれる」
きっちりひと品多く手に入れてしまったのはさすがなのであった。
この後、バザールをうろついて、遅い昼飯となった。
「おいしいギョーザのお店があります。そこへいきましょう」
とミナワさんが言うので、その店『大清花餃子』に行くことになった。
バスを降りてその店というのをみたら、なんとビル一軒(たぶん八階建てくらいだったと思う)が、まるまる餃子屋さんであったのである。
店全体としては混んでいたのだが、我々が通されたのは、他に客のいない広い部屋であっ?。た。
丸テーブルにつくと、さっそくお茶が運ばれてきたのだが、それが、なんと注ぎ口が一メートル以上もの長さがある急須(ぼくには如雨露に見えた)なのである。その急須を、少年が手で持ち、くるくると踊りながら、自分の背中から、あるいは後方に回して肩口から注いでくれるのである。オーバーアクションとそのアクロバティックな妙技に、我々はおおいに驚いてしまったのであった。
(つづく) |