夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第48回》〜シルクロード・西域南道をゆく〜  その6

文・夢枕 獏

 十九日は、十二時過ぎにカシュガルを出発した。
 全員がバスである。
 各自が思いおもいの席に座す。
 崑崙山脈から流れ出している川を何本も越えてゆくが、いずれも水の色が土の色と同じである。
 何本かの川は、砂漠の中に消えてしまうが、何本かの川は、そのまま流れてタリム川に注ぐ。タリム川は、東に流れ、天山から水を集めて、やがてロプノールへと注ぐ。
 ロプノールは、スウェン・ヘディンが、・さまよえる湖・と呼んだ、砂漠の湖である。
 タリム川がその流れを変えることによって、湖もまたその場所を移動する。
 しかし、かつては巨大であったこの湖も、今は見る影もなく枯れ果てている。天山から流れてくる水を、あちこちで堰きとめて、その水を工業用水や農業用水、生活用水として使ってしまうからである。
 タリム川の水が少なくて、とても砂漠の真ん中に巨大な湖を造ることができるほど、水を湖に供給できないのである。
 かつて、このロプ湖(ノール)のほとりにあった楼蘭(ローラン)という大都市も、この湖の移動によって、地上から姿を消してしまった。
 バスの中で、辰野さんと、
 「崑崙山脈から流れる川をカヌーで下り、タリム川に入り、ロプノールまで行くことはできないだろうか」
 という話になった。
 ミナワさんの話では、何年か前に、西洋人が、似たことをやったらしい。
 水の多い時期(つまり夏)に、川を下ってタクラマカン砂漠の南から北まで──ロプ湖(ノール)までは行っていないという。
 ただし、地図で確認しても、高低差がほとんどなく、流れがほとんどない川を、カヌーを必死で漕がねばならないであろうとの見当がつく。砂漠の真ん中──照りつける太陽の下で、これはとてつもなくしんどい作業になりそうである。
 イエンギサールという街で車を停め、トイレ休憩。
 ここは、刃物の街だ。
 道の左右に、ウイグルナイフや、包丁などを売る店がぎっしりと並んでいる。
 刃物を、何本か買って、トイレに入ったが、これが汚い。できてから一度も掃除をしてないように見える。
 「大便をしたら、尻にはねが飛んできそうだったなあ」
 と佐藤さんが言うと、
 「おれはね、チベットのポタラ宮でしたことがあるんだけど」
 と辰野さんが言い出した。
 「あそこのトイレは凄いよ。大便をすると、下にとどくまで二〇メートルはある。ね、その時、どんな音がするか知ってる?」
 これは、見当がついても、本人に言わせるべきダジャレであるので、みんな黙っている。
 「ひゅーっ、ポタラ」
 おおいに笑った。
 ばかばかしいダジャレのツボに全員がはまってしまっていて、何を言っても笑いがとれる。
 バスで来る途中、ずっと、砂漠の塩が道路わきに白く結晶している場所があって、
 「塩がエンエンと続いてるなア」
 と佐藤さんが言うと、
 「そうっと(ソルト)しておいてくれない?」
 ほとんど会話として成立してないダジャレで辰野さんがつなぐのである。
 困ったことに、こんなつまらないオヤジギャグが、つまらないが故に受けてしまって、盛りあがってしまうという状態になってしまっているのであった。
 ヤルカンドで、ケバブを喰べる。
 羊の肉を串に刺して焼いたもの──これがうまい。
 他に、・ウイグルラーメン・とミナワさんは言っていたが、ウイグル人の主食と言ってもいいものを食べる。
 うどん状の麺の上に、炒めた野菜と肉の汁をぶっかけて食べる。
 ホテル以外、ウイグル地区での食事は、実にうまかった。
 途中、ケズン(キジル)という小さなオアシスを通ったら、バザールがあり、たくさんの人が出ている。
 さっそくバスを停めて、見物する。
 誰もが人なつこくて、カメラを向けるとどんどん人が集まってくる。
 あちらでは、野外の食堂に人が集まって、・サムサ・というものを食べている。
 大きな竈があり、その竈の内側の壁に、小麦粉を練って板状にし、それをふたつ折りにしてその間に羊の肉をはさんだものが張りついている(ギョーザに似ている)。これがこんがり焼けてくると、竈の内側からはがして、食べる。
 このサムサを買って食べたのだが、熱くて、こうばしくておいしい。
 「熱さサムサも彼岸まで──」
 さっそく佐藤さんが言うのである。
 写真を撮っている皆に、プロの佐藤さんがアドバイスをする。
 「おいみんな、気をつけろよ。こういうところに来ると、逆上して、見るもの全部がおもしろくて、どんどんシャッターを押しているうちに、フィルム十本、同じような写真しか撮っていなかったってことがよくあるんだぜ」
 たいへん貴重なアドバイスであったが、再び出発したバスの中で佐藤さんは言った。
 「あーっ、また逆上して、同じような写真を山のように撮ってしまった」
 しかし、佐藤さんはにこにこしていて、充実した顔をしているのである。
 (つづく)


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