夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第49回》〜海のアメマス〜

文・夢枕 獏

 本来であれば、シルクロードの旅の話を書かねばならないところなのだが、このところちょっとおもしろい釣りをいくつかしているので、それについて書いておきたい。
 今年(二〇〇五)の秋から冬にかけての釣りであり、今書いておかないと、ネタが古くなってしまいそうだからである。
 釣った魚は、アメマスである。
 基本的には、イワナなどのように淡水魚として知られているが、アゴラビレのあるサケやアユの仲間であり、海と川とを行ったり来たりして生活している魚である。
 川にのぼって産卵し、また海にもどってゆくのだが、サケなどが川にのぼって産卵すると死んでしまうのに対し、アメマスは産卵後海にもどり、また翌年同じ個体が産卵のために川にのぼってくる。
 北海道の多くの河川は、工事が加えられていたり、川にのぼってきたサケを捕らえるための仕掛けが川に作られているため、川と海を行き来する他の魚もこの影響を受けている。アメマスも、その影響を受けている魚のひとつだ。
 サケを捕らえるための仕掛けに阻まれて、アメマスも川をのぼることができないのである。
 ところが、このサケ用の仕掛けがとりはらわれた川が、このところ北海道で一本、二本、三本と増えているのである。
 すると、アメマスが川をのぼるようになり、そこで産卵するようになって、たちまちアメマスの数が増えて、大きな個体も群れを作って川にのぼってくるようになってしまったのである。
 そんなわけで、北海道の某河川や、某河川は、五〇センチから七〇センチを越えるアメマスが、九月から十月、十一月にかけて、わんさか釣れるようになってしまったのである。
 実は、この数年、ひそかにこのアメマスを釣りに、秋になると北海道に出かけているのである。
 今年も行ってきた。
 そこで、たいへんいい思いをしてきたのだが、なんと、今度は海のアメマスを釣ってみないかという誘いがあったのである。
 秋に川にのぼったアメマスが、十二月には海に下って、川に近い海岸近くを群れで泳いでいる。
 なにしろ、川にいる間はあまりエサを食べないので、海にもどったとたんに、アメマスは実によくものを食べるようになる。カタクチイワシの群れなどを追っかけて、これを食べているので、たちまち太って元気になる。川で釣るアメマスの多くが、体高がなく、棒状の丸太の如き形状をしているのに対して、海のアメマスは、背がぐいと盛りあがっていて、元気がいい。
 ルアーやフライなどにも、悦んで飛びついてくる。
 「行きませんか」
 と声をかけてきたのはNHKである。
 それも十二月の始めだ。
 本来、海のアメマスのハイシーズンは、一月から二月だ。
 十二月の始めは、アメマスは海に下ってないものが多くいて、下っていてもまだ水温が高いとエサの食いが悪い。
 おまけに今年は暖冬であるから、アメマスが本当に釣れ出すのはいつもよりもっと後になる。
 「何で十二月の始めなんですか」
 と、ぼくは当然の質問をした。
 「放映が、一月の七日なのです。逆算すると、十二月の頭には撮り終えておかないと、間にあわないのです」
 と担当者は言うのである。
 ハイシーズンに行っても、釣れないのが釣りである。なのに、まだシーズン手前に行って、釣れるのか。おまけに、十二月は、年末進行でめったやたらといそがしい。とても、釣りどころではないのだが、
 「行きましょう」
 返事をしてしまったぼくは、根っから心から、釣りバカなのでありました。
 で、行ってきました十二月の六日〜八日。
 場所は、北海道の函館から車で三時間ほど行った島牧(しままき)という村である。
 ここに、札幌から十数年通い続けているという名人がいて、その名人が今回の釣りの案内をしてくれるというのである。
 冬になると、ほとんど島牧に入りびたり状態となり、寝るのは自分の車、トイレは公衆トイレという状態に突入してしまうというのである。
 このアメマスを釣るのは、三〇グラムから八〇グラムまでのジグである。他にミノーも使う。
 これを海に投げ込んで釣る。
 六日、名人と合流して釣りはじめたのだが、北海道の十二月であり、しかも日本海側ということもあり、初日から雪であった。
 たいへんに寒く、指先だけは手袋から出ているため、指先の感覚がなくなってくる。
 この日、二時間ほどやって、釣果ゼロ。
 名人も釣れない。
 「いやあ、実は、今年はまだ一匹も釣ってないんですよ」
 と名人。
 なに、名人さえ、まだ釣れてないんだって?
 今釣れているから──そう言われて行っても釣れないのが釣りである。
 覚悟して、翌日は五時に起きて出発。
 マイナス八度。
 暗いうちから竿を出したが、釣れず、朝食を食べて、また、ロッドを振るが、やはり釣れない。昼食を食べ、今度は小さな川が流れ込んでいる湾でルアーを投げる。
 ここで、ようやく、名人とぼくは一匹ずつアメマスを釣りあげ、面目をほどこして、無事になんとか番組を成立させることができたのである。
 翌日は、一日やって釣果ゼロ。
 二日目に一匹を釣っておいて、いや、実によかったよかった。


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