夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第51回》〜台湾は元気だ〜

文・夢枕 獏

 実は今、台湾から帰ってきたばかりなのである。
 凄いぞ、台湾。
 本来であれば、シルクロード噺の続きを書きたいところなのだが、台湾がおもしろかったので、またもや・玄奘行路・は一回お休みをいただいて、台湾噺をしてしまうのである。
 そもそものきっかけは、『陰陽師』であった。
 台湾で、ぼくの『陰陽師』の中国語版を出しているのだが、これがなかなかよく売れているのである。
 前々から、一度遊びに来ないかと、あちらの出版社「繆思(ミューズ)出版」からお誘いを受けていたのだが、なかなかその機会がなかった。
 今回、ようやく時間がとれそうな状況になったので、行く決心をして、二月七日から十日(二〇〇六年)まで、四日間台湾へ行って来たのである。
 九日のまるまる一日のスケジュールを、すべてあちらにあずけ、朝から夜の十時まで、ずっと、インタビューを受け、対談をし、テレビに出たり、サイン会をしたりということをやってきたのである。
 ちょうど、ブックフェアの最中であり、大きな会場二か所で、色々のイベントなども行われたりしたのであった。
 ぼくも、そのイベントのひとつに出席した。
 会場で、台湾の作家にしてエッセイスト、しかし、その実体は大学で記号論を教えている教授という女性・柯(か)さんと対談をしたのである。
 しかも、とても綺麗な方であったのである。『陰陽師』の中で、ぼくが書いている・呪・(しゅ)というものが、記号論によく似ているところがあるとかで、授業ではぼくの『陰陽師』をテキストに使ったりしているというのである。
 たとえば、次のようなシーン。
 「博雅よ。たとえば呪によって、空に浮かぶ月でさえ、愛しいお方にさしあげることだってできるのだぞ」
 「どうするのだ」
 「天の月を指差して、愛しいお方よ、あの月をそなたにさしあげましょうと、そう言えばよい」
 「それだけで?」
 「愛しいお方が、それで、はいとうなずけば、空の月はもうその方のものなのだ」
 例としてはぴったりかどうかはわからないが、こういった哲学的な会話などが、どうも受けているようなのである。
 会場では、ファンが手作りの衣装を着て安倍晴明や博雅のコスプレをしたりと、なかなか充実した時間を過ごすことができたのである。
 で、その後で、五〇〇メートルを越える世界一のノッポビルに登ってきた。
 さすがに五〇〇メートル以上までは一般の人間は立ち入れないのだが、千円近い料金で、地上三八二メートルの展望室までノンストップで行くことができる。
 これはもう、ヘリの飛ぶ高さである。
 台湾へ行ったら、ぜひ行ってみるとよいと言われていたのが、誠品書店である。
 六階建ての、巨大なビルが、どん、と丸ごと本屋である。テナントとして、ブランド品を売る店も入っているが、二階、三階、四階が本屋でこれがとてつもなくでかい。これまでにぼくが知っているどの本屋よりも広く、ゆったりとしていて、品数がそろっているのである。世界中の本が置いてあり、驚くなよ、朝の九時から深夜二時まで営業していて、夜の十時を過ぎても、お客が減らないのである。
 いずれ24時間営業にする予定であるというから、これにもびっくり。
 本屋に、熱気がむんむんしているのである。
 この本屋、入るだけで、知的好奇心がごんごん湧いてきて、興奮してくるのである。
 世界中が未知であった子供時代に、初めて東京の本屋さんに行った時の、冒険者になったような感覚がこみあげてきた。
 中国の古典、風水、易学、こういうものが圧倒される量感をもって並んでいる。西洋の本の翻訳ものもある。日本のマンガもごっそりある。全てのジャンルの本が、たいへんな数である。
 この本屋で、この日のぼくの最後のイベント、大学教授の林(リン)さんとの対談とサイン会があったのだが、集まった若者たちは、みんな眼がきらきらしていて、半数以上の方たちが、通訳なしでぼくの日本語を半分以上理解しているのであった。
 「先生、大好きです」
 「ユメマクラさんは、スゴイ人です。がんばって下さい」
 これも、半数近い若者が、サインの後で、日本語で話しかけてくるのである。
 日本の・やおい・文化を知っており、晴明と博雅は、愛しあっているのかどうかというところも気になっているらしい。
 「どこで日本語を覚えたの?」
 「テレビです」
 なんと、NHKのテレビを見て、日本語を覚えたというのである。
 日本語のどういうジョークにも反応があり、ちょっと、日本とは、若者のエネルギーの濃さが違う気がしたのである。
 いいなあ、台湾。
 いいなあ、誠品書店。
 本当に、本屋っていいなあ。
 なんと、金庸(きんよう)の武侠(ぶきょう)小説数十冊を自費で買い込んで、
 「これ、ぜひ読んで下さい」
 とプレゼントしてくれた少年もいた。
 中を開けたら、なんと『日中語辞典』が一冊入っていた。
 辞書を引きながら読んでくれという意味である。
 本人もそうやって、日本語、勉強したんだろうなあ。
 熱いぞ、台湾。


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