夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第54回》〜ポールと温泉に入ったぞ〜

文・夢枕 獏

今回も、シルクロードの続きをさぼって、ちょっと別のお話を。
  以前、ここで、野田さんや彦いっちゃんとユーコン川を下った話を書いたが、その時ガイドをしてくれたポールがカナダのホワイトホースからやってきたのである。
  ポールは、アウトドアガイドである。
  リバーツーリングのガイドもやるし、フィッシングのガイドも、ハンティングのガイドもやる。
  あらためて書いておくと、三年前の夏に、カヌーイストの野田知佑さん、落語家の林家彦いち師匠と一緒に、カナダからアラスカを流れているユーコン川の支流、ビッグサーモンリバーをカヌーで下った。この時のガイドがポールだ。
  ポールの奥さんは、現地の女性で、インディアンである。ポールは白人だが、この女性と結婚することによって、魚をいくら釣ってもよい権利を手に入れたのだ。たとえば、ある川では一シーズンに、キングサーモンを釣っていいのは、白人なら一尾だけだったりするのだが、もともと現地に住んでいたネイティブの人たちは、何尾釣ってもいいのである。そうしないと、生きていけないからだ。ポールは、ネイティブの女性と結婚して、そういう権利を手にしてしまったのである。
  ところが、何年か前から、ネイティブの人たちも自由にフィッシングやハンティングができなくなってきた。そのためではないとは思うが、昨年ポールは、この女性と離婚してしまった。
  自由になったポールは、そこで初めての海外旅行に出た。フィリピンで三か月、そして、日本で一か月。
  日本にいる間の一か月、ほとんどの時間を、ポールは四国は徳島にある野田さんの家ですごした。
  そして、つい先日、四月三〇日に、ポールは野田さんと一緒に小田原までやってきたのである。
  「もう、ユーコンではベアハンティングが始まるんだよ。今年は、六人のガイドをやらなくちゃいけないんだ」
  その準備のため、五月二日には、成田からカナダに向かって出発しなければならないというのである。
  帰る前に、ぜひ、彦いち師匠の落語を聴きたいと、ポールは言うのである。
  なにしろ、ポールは、外国人で初の一番弟子である。
  ユーコンを川下りしている間、毎夜、焚き火の前で、
  「パンツやぶけちゃった」
  「またかい」
  などという小噺を、日本語で師匠から習っていたのである。
  日程をすりあわせてみたら、三〇日にしか師匠の落語を聴くチャンスがない。
  しかも、場所は、山梨である。
  この日、彦いち師匠は、山梨で、子供たちに落語を教えることになっている。
  七〇人ほど子供を集め、落語を教えて、幾つかの家(流派)を決めて、その家ごとに・芸風・を決めて、最後は、みんなの発表会をやる。
  十回やるうちの第一回目が、ちょうど四月三〇日であったのである。
  この日しかない。
  ちょうど、子供たちに落語を教えて、ひと通りのことが終わったら、その後、番外編として、ポールのために一席やろうということになったのだ。
  小田原で合流し、ぼくの車で、ポールと野田さんを山梨まで送ってゆく──そういうだんどりであったのだが、手ちがいが生じてしまった。
  ポールの到着が、二時間おくれてしまったのだ。
  連休中のため、予定の電車の出発するホームが変更になり、ポールがそれに気づかなかったのである。
  二時には到着するはずであったのだが、結局、一時間半おくれて三時半過ぎの到着となった。
  ところがなんと、師匠も、お客さんたちも、カナダからポールがやってきて、その前で彦いち師匠が一席演(や)るという状況をおもしろがり、ほとんどの人が帰らずに待っていてくれたのである。
  会場も、本来であれば閉めてしまうところを開けたままにしておいてくれたのだ。
  座ぶとん亭の馬場さん、関係者の皆さま、ありがとうございました。
  会場に着いたら、そのまま彦いち師匠とは会わずに客席へ。
  拍手でむかえられ、椅子に座ると、ほどなく幕が開いて、我々は、高座と客席で、彦いち師匠と対面となった。
  いや、あきらめずに駆けつけてよかった。
  終わった後、せっかく会ったのだから、温泉へ行こうということになった。
  何しろ石和温泉の近くであり、ポールにもぜひ日本の温泉に入っていってもらいたい。
  馬場さんの案内で、きれいな露天風呂のある温泉に入る。
  「おう、ビューティフル」
  ポールや我々が、露天風呂を占拠することになり、
  「バク、いい釣り場がある。でかいレインボーやレイクトラウトが、がんがん釣れるところがあるぜ」
  「行きます行きます」
  などという話をたっぷりしたのである。
  ・ほうとう・で食事をし、東京まで送る予定であったのだが、連休の渋滞を避けて、小田原までまたもどることとなった。
  小田原から新幹線で東京まで行く方が早いであろうと考えたのである。
  小田原で再会を誓ってポールを見送った。
  ああ、楽しい一日でありました。


(c)Digital Adventure.Inc.