夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第55回》〜シルクロード・西域南道をゆく〜  その10

文・夢枕 獏

 グリさんの実家は、ホテルから歩いて七分くらいのところにある。
  最近できた団地の三階。
  三年前に、この団地に引っこしてきた。
  住んでいるのは、お父さん、お母さん、そして妹だ。
  名前を覚えきれず、メモできたのは、トフティハンというお母さんの名前だけだ。
  お父さんは、公務員をやっていたのだが、今は退職して、日本で言えば老人会のような会をやっているのだという。
  現金収入があるのは、働いているお母さんのトフティハンだけである。
  けして広くはないが、室内はまだ新しく清潔である。地元の民家、つまり、クラシックな昔ながらの家というのを期待していたのだが、かなり西洋化が進んでいる。チャルクリクでも多くの家が、ウイグルの伝統的なものから、西洋的なものにかわっている。
  そういうことでは日本と同じ道を、ウイグルの人々も歩んでいる。
  まず、ポットに入れられた水が運ばれてきた。
  食事の前に、この水で手を洗うのがウイグルスタイルである。
  カラフルなボールを机の上に置き、その上に手をかざすと、グリさんがポットから水を注いでくれる。
  食事が豪華であった。
  我々のために一日かかって料理をしてくれたのである。
  まず、ポーロ。
  これは、焼き飯の上に、分厚くでかい羊の肉が、どん、と乗ったもの。
  この羊の肉は、家の主人がお客に切り分けるのが、ここのスタイルである。
  グリさんのお父さんが切り分けてくれた肉の焼き飯を食べる。
  箸も、ナイフもフォークも、スプーンも使わない。直接、手づかみで食べるのだ。
  これで、先ほど、手を洗った意味がわかった。
  しかし、なんという量か。
  直径三十五センチくらいの大皿から、外にこぼれ出そうなほどの量の焼き飯であった。それがてんこ盛りになっているさらにその上に、『マガジンZ』とは言わないが、『少年マガジン』くらいの大きさと厚さ(※編集部注・・約4cm)の肉が乗っかっているのである。
  これをふた皿、五人ではとても食いきれない。しかし、お父さんの切り分けてくれる羊の肉のなんとおいしいこと。こんなに柔らかく、臭みのない、濃厚な羊の肉は初めてであった。
  「このチャルクリクの羊は、ウイグルで一番おいしいです」
  と、ミナワさんが言った。
  半分を残したところで出てきたのがピットマンタ(ウイグル風ギョーザ)である。
  これも、山盛りだ。
  うまいが、半分以上がやはり残ってしまう。
  すでに、日本の感覚で言えば、メインのでかいステーキを食べ、炒飯を二人前食べた状態なのである。
  ピットマンタも、半分残してしまった。
  そして次に出てきたのがチュチュ(ウイグル風ワンタン)である。
  これも、ひとりどんぶり一杯である。
  こんなにおいしいのに、どうして残さねばならないのか──そこが実にくやしい。
  食事の後は、オアシス都市チャルクリクの民族音楽を聴くことになった。
  何しろ、チャルクリクには、音楽家という職業が、ないと言ってもいい。
  皆、きちんと別に本業を持っていて、その人たちがパーティーで、楽器を演奏するのである。
  演奏者は、数学教師のアブラット。
  そして、農家のイルハン。
  アブラットさんが使うのが、タンブルという五弦の弦楽器である。
  そして、イルハンさんが弾くのは、ドッタールという、これまたギターの原型のような楽器であった。
  演奏が始まった。
  楽器を弾きながら、唄を歌う。
  哀調を帯びた、しかも、力の強い歌だ。
  グリさんと、母親のトフティハンが踊り出した。
  ついに、辰野さんがたまらずに笛を取り出し、なんとイルハン、アブラットとセッションを始めてしまったのだ。
  辰野さんの笛も、これまでで一番できがよかったのではないか。
  辰野さんが自作の曲『遙かなりカイラス』を吹きはじめると、ふたりがそれに合わせる。
  何とも楽しい夜が、こうして更けたのであった。
  ほろ酔いで、月夜の下を、ホテルまで歩いた。
  ああ───
  おれたちは今、かなり充実した旅をしているんだなという実感が湧いてくる。
  五月二十四日──
  チャルクリクを出て、ミーランへ。
  ミーランの手前で、川に出合った。
  河原は広いが、流れている水そのものは少ない。
  「夏になって、山の雪が解けはじめると、この川幅いっぱいに水が流れるんです」
  と、ミナワさんが言った。
  『西遊記』に出てくる女人国のモデルとなった地だ。
  八戒は、この川の水を飲み、妊娠して、お腹が大きくなってしまうのである。
  「昔、戦争で、ミーランの男の人たちはみんな出ていってしまいました。残ったのは女の人ばかりでした。それで、女人国のモデルになったんだと思います」
  現場でミナワさんの話を聴いていると、
  「ああ、おれは今、自分の大好きな物語の生まれたその現場にいるのだな」
  と胸はあやしくときめくのであった。
  (つづく)


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