夢枕 獏が綴る日常の気ままなエッセイ〜格闘的日常生活

《第58回》〜シルクロード・西域南道をゆく〜  その13

文・夢枕 獏

 その日の夕刻──
  鳴沙山(めいさざん)へゆく。
  十八年前、夕刻にやってきた時は、実によい思いをした場所であった。
  たとえば何頭かいるラクダのうち一頭に乗って、ゆらゆらと出かけてゆくと、月が出てくる。昼の熱気が嘘のようにおだやかになって、空がずんずん深く濃く澄んでゆく。
  そして、鳴沙山のふもとに着くと、そこに、なんとも細い、猫の爪のごときかたちをした月牙泉(げつがせん)という池があるのだ。
  この話を、以前に天野さんにしたら、ぜひ行きたいと言っていたのである。
  今回行ってみたら驚いた。
  なんと、道の途中に巨大な門ができており、そこで入場料をとっているのである。
  門をくぐったら、またびっくり。
  観光客だらけで、ラクダが百頭近くもいるではないか。
  しかも、あちらでは、サンドバギーで鳴沙山に登っている者たちまでいるのである。
  ラクダには番号がついており、もちろん有料でそのラクダに乗ることができるのだ。
  ともあれ、ラクダに乗ってゆく。
  辰野さんは、明日、帰ってしまうので、この鳴沙山が、辰野さんにとっては我々との最後のイベントとなる。
  辰野さんは、ラクダの上で笛を吹きはじめた。
  ラクダは馬と違って、揺れ方に独特のものがあり、両手を鞍や手綱から離して笛を吹くのはかなりたいへんなのだが、さすがに岩壁を専門にやっていたクライマーだけあって、バランスをとるのがうまい。
  曲は「月の砂漠」である。
  途中、またもやびっくりしたのは、コンクリートで造られた人工の池ができていたことである。池というより、巨大なプールだ。
  鳴沙山が、なんとも味けない風景となってしまった。
  ふもとでラクダを降りると、またもやそこにお金をとるシステムができあがっていた。
  鳴沙山の上まで、レールが敷いてあり、そこにトロッコのようなものがあって、有料で、人を上まで運んでくれるのである。
  我々は、それに乗るのを拒否して歩き出した。
  これがしんどい。
  山男の辰野さんが先頭で、その後に我々が続いたのだが、距離がどんどん開いてしまう。
  一歩歩くと、砂が崩れて半歩以上もどってしまうのである。
  辰野、寺田、彦いちの三名が先行し、その次にぼく、ぼくの後ろに残り四名が続くかたちとなった。
  意地になって登ったのだが、ついに頂上近くで休むことにした。登っても登っても頂上はすぐそこに見える。それでだまされてついつい登ってしまったのである。
  しかし、気分はよかった。
  登っている間に陽が沈み、美しい月が出た。
  これで、ようやく旅のひとくぎりがついた気がした。

五月二十七日
  朝、ホテル前に集まった。
  日本へ帰る辰野さんと別れを惜しみ、我々はマイクロバスで莫高窟(ばっこうくつ)へと向かう。
  NHKの『シルクロード』で、日本ではあまりにも有名になった千仏洞(せんぶつどう)がある。
  さすがに凄いが多くの解説文や本が出ているので、あえて触れない。
  ただ、土産品屋の近くを通ると、
  「バイアグラあるよ」
  「バイアグラ、ほしいか」
  何度も声をかけられた。
  もちろん日本語である。
  売っているのは、もちろん・中国製バイアグラ・である。
  中国は、観光客が集まる場所に、全ての銭になるシステムを導入したかのようである。
  観光客から、とれるだけ金をとってやるぞという声が聴こえてきそうであった。
  食事をして、午後から、陽関(ようかん)と玉門関(ぎょくもんかん)へゆく。
  シルクロードは、西安から西へ向かう河西回廊を通って敦煌へとたどり着く。
  その敦煌から先は、シルクロードはタクラマカン砂漠にぶつかって、道がふたつに分かれることになる。
  ひとつが、タクラマカン砂漠の北を通る道──天山南路である。
  もうひとつが、タクラマカン砂漠の南側を通る道──西域南道である。
  我々は、この道を西から東へと向かい、敦煌までたどりついている。
  陽関は、西域南道へと続く道にあり、玉門関は、天山南路へと続く道にある。
  陽は、男性の象徴であり、玉門は女性性器を表す言葉だ。その名の通り、陽関は、高い山の上であり、玉門関は平地にあって、しかもその門の形が女性性器に似ているのである。
  陽関は、王維(おうい)の詩で有名である。

   渭城の朝雨 軽塵をうるおし(いじょうのちょううけいじんをうるおし)
   客舎 青青柳色新たなり(かくしゃせいせいりゅうしょくあらたなり)
   君に勧む更に尽くせ一杯の酒(きみにすすむさらにつくせいっぱいのさけ)
   西のかた陽関を出づれば故人無からん(にしのかたようかんをいづればこじんなからん)

 友人との別れの詩だ。
  陽関を出て西へ行くというのは、もう、漢の文化圏ではないところへ行くということだ。砂漠の道であり、馬や人の白骨を標(しるべ)とする道である。毒蛇、悪鬼、盗賊もいる。一度出たら、生きてもどれぬかもしれぬ旅である。
  今生の別れ──
  そういう詩である。
  そこへ、我々は出かけて行ったのである。
  (つづく)


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