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読書日記

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書籍編
奇、奇譚、ファンタジー

●古川日出男『アラビアの夜の種族』角川書店。
●宇月原晴明『聚楽 太閤の錬金窟』新潮社。
●東郷隆『ププタン』講談社。
●畠中恵『しゃばけ』新潮社。
●粕谷知世『クロニカ』新潮社。
●リチャード・パワーズ/若島正 訳『ガラテイア2.2』みすず書房角。
●筒井康隆『愛のひだりがわ』岩波書店
●米沢嘉博『藤子不二雄論 FとAの方程式』河出書房新社。
●野尻抱介『太陽の簒奪者』早川書房。
●北野勇作『どーなつ』早川書房。
●ニール・スティーヴンス/中原尚哉 訳『クリプトノミコン1・2・3・4』ハヤカワ文庫SF/早川書房。
●鈴木輝一郎『三人吉三』双葉社。
●林譲治『ウロボロスの波動』ハヤカワSFシリーズJコレクション/早川書房。
●坂本康宏『歩兵型戦闘車両ダブルオー』徳間書店。
●コニー・ウィリス/大森望 訳『航路』上・下・ソニー・マガジンズ。
●村上春樹『海辺のカフカ』上・下・新潮社。
●スティーヴン・ミルハウザー/柴田元幸 訳『マーティン・ドレスラーの夢』白水社。
●瀬名秀明『あしたのロボット』文藝春秋。
●川端裕人『竜とわれらの時代』徳間書店。
●荒山徹『高麗秘帖』、『魔風海峡』、『魔岩伝説』全て祥伝社。

 古川日出男の『アラビアの夜の種族』を一気に読んだ。およそ二〇〇〇枚の長篇小説なのだが、なあに恐れることはない。読み始めさえすれば巧妙な語り口と幾重にも絡み合った仕掛けに囚われ、瞬く間に十八世紀、圧倒的な近代兵器で武装したナポレオン艦隊侵攻前夜のエジプトへと連れ去られる。
 当時のエジプトを実質的に支配していた首長の一人であるイスマーイールの有能なる家令アイユーブは、迫るくるナポレオンに対してイスラム世界に古くから伝わる一冊の書物「災厄の書」をもって対抗すべしと進言する。「災厄の書」は読むものが必ず破滅するという伝説の書で、これを侵略者ナポレオンに贈ろうというのだ。
 そしてアイユーブが探し出した語り部によって「災厄の書」はアラビアン・ナイトを思わせるエキゾチックで波瀾万丈の伝奇ロマンを紡ぎ出す。このいわば作中作の完成度がとにかく高くファンタジーとして傑作。さらに作品毎に巧妙な仕掛けを創り出してきた作者・古川日出男は、本書『アラビアの夜の種族』自体が、過去一世紀半にわたって様々な言語に訳されたものを、たまたま作者が日本語化したという枠組を設定している。よって、読み手には階層的な視点が与えられることになり、結果的にこの物語世界への深い没入感を覚えることになる。
 本書は、この世に生み出されたこと自体が奇跡のような傑作であり、ついに古川日出男の力が最大限に発揮された大作である。

 宇月原晴明の待望の新作『聚楽 太閤の錬金窟』は、豊臣秀吉とその甥・秀次の確執を軸にしたストーリーにイエスズ会の宣教師、徳川家康と服部忍群、錬金術など伝奇的なモチーフを惜しげもなく注ぎ込んだ長篇伝奇ロマン。秀頼の誕生から人の出入りもめっきり減った聚楽第。その主秀次は「殺生関白」と噂され、都の人々に恐れられていた。やがて秀次が聚楽第の地下で異端の伴天連を招き入れ不可思議な試みを続けていることを知った秀吉は……。
 前作『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュノス』で、日本史上もっとも非凡で独創的、そして不可解な男・信長とローマ皇帝ヘリオガバルスを繋ぐという野心溢れる趣向を用いた作者が、本書でも、信長を挟んで対峙する家康と秀良の姿を、凄まじい情報量と、様々に凝った仕掛けで異形の戦国時代を描き出している。

 数々の才能を送り出している日本ファンタジーノベル大賞から今回も素晴らしい作品が届けられた。大賞受賞作は粕谷知世の『クロニカ』。スペインによるインカ帝国への侵略を、文字による神を崇める旧大陸の文化と文字を持たないまま巨大な国家を築いたインカ的な文化の闘いとして捉えたモダン・ファンタジーの傑作だ。素材と視点の新鮮さに加えて、インカ滅亡史、少年の成長物語、語りによるネットワークを支える伝達吏の冒険、神々同士の闘いといった多様な物語によって構成される本書を読み進うちに浮かび上がるのは、言語によって世界を創造する驚異と悦びである。
 優秀賞を受賞した畠中恵の『しゃばけ』は、江戸時代を舞台にしたミステリ仕立ての妖怪ファンタジー。本書の主人公・一太郎は回船問屋の若旦那だが生まれつき体が弱く、家族や店の者は常に彼の健康を心配する毎日である。
 ある夜、皆に内緒で外出した一太郎は偶然殺人事件を目撃したことから、妖怪がらみの連続殺人事件に巻き込まれてしまう。やがて軽快な文体でいくつかの謎と事件が描かれ、物語は一太郎の成長物語として収斂してゆく。何ともチャーミングな作品になっている。

 東郷隆の『ププタン』は、永きにわたった封建社会のまどろみから目覚め、世界という場と関わるようになった日本人が出会う奇譚七篇を収録した短篇集。性の深淵を覗くようなものから伝奇長篇と同等の奥行きを感じさせるものまで、バラエティに富んだ作品を揃えた洒脱で粋な大人のファンタジーだ。
 ショート・ショートの神様・星新一、SFに仏教的無常感を取りいれた光瀬龍、そして伝奇小説中興の祖で先頃亡くなった半村良。

 明確な個性で活躍した日本SF作家の第一世代と呼ばれる人達がつぎつぎと鬼籍に入り、彼らの作品を同時代に読んできた読者として、もう新作が読めないというのは残念でならないが、まだわたしたちには筒井康隆がいるではないか。
 筒井康隆の『愛のひだりがわ』と『文学外への飛翔』をつづけて読んだ。
『愛のひだりがわ』は、荒んだ近未来を舞台にしたファンタジィであり、行方不明の父を捜して旅に出た小学六年生の少女・愛の成長物語である。
 希望を明確に描きあげる本書は、擬似イベントものやスラップ・スティックな短篇群。そして実験的な手法を駆使した数々の作品を描いてきた筒井のキャリアからみると「七瀬シリーズ」の一部や『グランパ』に近い異色作とも読めるが、様々な伏線が充分に生かされた構成と、力強いストーリーは読み手を捕らえて放さない。
 一方、『文学外への飛翔』の方は「俳優としての日日」という副題が示すように俳優・筒井の奮闘記といったエッセイ集であるが、これがばつぐんにおもしろい。これを読むと筒井にとって俳優としての活動がいかに重要な位置にあるかが納得できる。

 星・小松・筒井等を日本SFの第一世代とすると山田正紀や田中光二が第二世代。新井素子や神林長平等は第三世代となる。かって早川書房から第三世代の作家による日本SF専門のレーベル「新鋭書下ろしSFノヴェルズ」があったが、それからおよそ二〇年後の今年「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」という魅力的なレーベルがスタートした。電子書籍版の同時発売という試みも興味深いが、なにより予定されるラインナップに期待がもてる。
 その第一回の配本となるのが昨年『かめくん』で日本SF大賞を受賞した北野勇作の『どーなつ』。本書では異星人の宇宙船か敵の新兵器か何だかわからないものによって生じた半径五キロの爆心地で人間が別のものに変容してゆく姿が連作短編形式の構成で描かれる。作中世界の不確かさが北野独得のノスタルジックをふくんだ柔らかな語り口によって際立ち、読み手を不思議な世界へ誘ってくれる。
 同じく第一回配本となる野尻抱介の『太陽の簒奪者』は、地球外生命体とのファースト・コンタクトを描く本格SF。西暦二〇〇六年に観測された水星の異変から、太陽をとりまく巨大リングの発生。やがて地球外生命体の出現へと壮大な物語が展開される。本書はヤング・アダルトのジャンルで、科学的にしっかりした作品を書き続けてきた野尻のメジャーデビュー作であり、欧米の本格SFと同じステージで競える記念碑的な作品だ。

 日本SF史は手塚治虫、石森章太郎、そして藤子不二雄等の描いたSF作品を抜きにしては語れない。米沢嘉博の『藤子不二雄論 FとAの方程式』は、二人で一人の漫画家・藤子不二雄のそれぞれの作品と内面に迫った力作評論。これまで語られることの少なかった藤子・F・不二雄の晩年や内外SFと両藤子作品の関係がにも触れられている。抑制の利いた文章と図版が的確に配され夢中で読み終えた。

 今や人工知能をモチーフにした小説が出たと聞いても誰も驚かないが、あの『舞踏会へ向かう三人の農夫』の作者リチャード・パワーズが書いたとなると話は別だ。『ガラテイア2.2』は、作家パワーズを主人公に『舞踏会へ…』を含む自作の成立過程を取り込むという凝った構成を用いた擬似自伝的なメタ・フィクション。
 私的な屈折を抱えた登場人物たちの葛藤と人工知能の成立過程が膨大な情報量によって組み合わされた結果、現代を代表する私小説となって結実した傑作。パワーズ本邦未訳作の一日も早い翻訳出版を望む。

 ニール・スティーヴンスの『クリプトノミコン 1・2・3・4』(中原尚哉訳)を紹介しよう。四冊合計で約二千頁という大長編だが、第二次世界大戦中のパートと現代社会のパートを虚実入り交じったエピソードと多彩な登場人物の視点で描いているため、いわば連作短編集的なテンポで読むことができ、読み始めさえすれば大団円に向かって頁をめくる勢い増しこそすれ、にぶることはない。
 本書のメイン・テーマは"暗号“。暗号とは言葉を換えると「情報の流れを制御する方法」であり、様々な情報の暗号化と暗号解読の技術は戦時においてはもちろんのこと、現代社会でもインターネット上でのプライバシーの保護や、ネット上のビジネスにおける電子決済の確立などに必要欠くべかざる存在であり、現在もっとも注目される最先端の重要技術なのだ。
 第二次世界大戦のパートでは、イノセントだが数学に強く暗号解読という戦争におけるデスクワークを担当するローレンスとアメリカ海兵隊に所属し戦場において暗号を取りまく様々な思惑からもたらされる異様な作戦に従事するシャフトー。苛酷な運命に翻弄される日本軍兵士・後藤の姿が描かれる一方で、現代のパートではローレンスの孫でコンピュターおたくなネット技術者のランディが、学生時代の友人と共に新時代のビジネスを模索する姿がリアルに描かれてゆき、やがて、このふたつの物語は、膨大な情報を埋め込んだ科学技術史的な物語であり、暗号を手がかりにした若者たちの成長物語に収斂してゆく。
 作者のニール・スティーヴンスはサイバー・スペースの発達した未来社会を斬新なアイディアと豊かなディティールで描いた『スノウ・クラッシュ』、『ダイヤモンド・エイジ』で注目されたSF作家だが、長篇第三作目となる本書においては、より広い層をターゲットにした新しい時代の冒険小説を試みたという印象。そしてその試みは見事に成功している。

 林譲治の『ウロボロスの波動』は、偶然発見されたマイクロブラックホールを利用して、太陽系全域にエネルギーを供給しようとする壮大なプロジェクトを背景にした連作短篇集。一話完結の年代記形式で描かれる短篇を読み進むうちに、この太陽系のリ・デザインを含む人類が初めて挑む壮大にして長期間におよぶ巨大プロジェクトの背後に人類の変質と葛藤、そして人類が踏み出すさらに大きな物語を暗示させるという見事な構成となっている。最良のSF作品だけがもつ輝きに満ちた傑作だ。

 なんともユニークな時代小説を紹介しよう。鈴木輝一郎の『三人吉三』である。
 舞台は幕藩体制が強固になった元禄時代。
 貧乏籏本の倅・御坊修三郎吉光は、昨日も今日も、そして明日も変わることのない閉塞感に満ちた日常に鬱憤を感じ、生類憐れみの令の象徴である犬斬りを決意する。
 やがて修三郎は、火をあやつる町娘きち、生臭坊主の吉兆と「三人吉三」を結成し、お江戸を騒がすことになる……。
 作者は社会に対して反旗を翻すパンキッシュな若者の姿を描きながら、元禄時代の大事件「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」を物語の背景に取り込むことによって、書き尽くされた感のある「江戸小説」を見事に更新してくれた。

 第三回日本SF新人賞佳作入選作の坂本康宏の『歩兵型戦闘車両ダブルオー』は、現代の日常を舞台に巨大合体ロボットと怪獣が闘うという物語。三台の戦闘車両が合体すると全高二三メートルに達する戦闘ロボット"ダブルオー“が完成するのだが、本書はあくまでも現代技術と政治経済体制の延長に存在する物語であることに拘り抜いた作品であるため、三台が無事に合体することが稀とい設定であり、操縦者の訓練から戦闘の前後に生じる諸問題までをリアルに描き、そしてそのリアルゆえに笑いが生まれるという構成でなのである。慨視感や説明不足を感じる部分もあるが、なにより作者自身が楽しんで書いていることがストレートに伝わってくる佳作である。

 コニー・ウィリス(大森望訳)の最新作『航路』(上・下巻)は傑作である。
 本書は死から生還した人間だけが語れる「臨死体験」の謎に迫る長篇小説だ。
 主人公のジョアンナは若い認知心理学者。彼女はコロラド州の病院で臨死体験のメカニズムを科学的に解明するため、臨死体験者の対面聞き取り調査をしているが、臨死体験を宗教的体験と混同する体験者も多く、調査は困難を極めていた。
 そんな、ある日、ジョアンナは疑似的な臨死体験を誘発できる神経刺激剤を発見した神経内科医リチャードから、被験者が報告する疑似臨死体験とを比較対照しようという臨死体験プロジェクトの共同研究を持ちかけられる。
 やがて、ボランティアによって臨死体験をシュミレートする実験が始まるが、ジョアンナによる予備調査の結果、次々とボランティアたちの不的確さが判明し、ジョアンナは自らが被験者になることを決意する。
 臨死体験は、体外離脱や自分の一生を走馬燈のように追体験するとも、神が両手を拡げ出迎えるともいわれ、科学的アプローチを試みる人々にも、死後の世界を肯定する人々にとっても大いなる謎であり、小説のテーマとして魅力あるテーマである。勿論、本書のテーマもそのことに焦点を絞ったものなのだが、本書の感動は、臨死体験の謎だけに収束しない物語のぶ厚さにある。ジョアンナ自身とジョアンナに関わる患者や医療現場で働く人々の姿をユーモアを織り交ぜながら丁寧に描いてこそ、第三章の衝撃と感動がある。
 泣けます。

 村上春樹の久々の書下ろし長篇小説『海辺のカフカ』(上・下巻)を読んだ。およそ八〇〇頁という長さだが、村上春樹の見事すぎる語り口は、ユング的なストーリー構成に抵抗を覚える読み手さえも最後まで連れて行くにことだろう。
 すでに本書をめぐっては多数の書評が出ているのでストーリーの紹介は最小限にとどめるが、本書は家出した少年カフカの成長物語と幼少の頃に不思議な事件に巻き込まれ記憶を失ったままの老人ナカタさんの物語を軸に展開する。
 このふたつの物語のうち、少年カフカと同世代あるいは少年期の記憶がまだ鮮やかな読者には、少年の旅が通過儀礼(ルビ:イニシエーション)としての共感を呼ぶものだと思われるし、おそらくは少年を主人公とするパートが本筋なのであろうが、少年期が遙か彼方となった評者のような男にとっては、無自覚なシャーマンであり、イノセントでチャーミングな、もう一人の主人公ナカタさんをめぐる物語に強く惹かれる。
 ナカタさんこそ好漢ホシノ青年の助けを得て、このユング的な物語を救う勇気ある旅人なのである。

 スティーヴン・ミルハウザー(柴田元幸訳)の『マーティン・ドレスラーの夢』は、ひとりの青年が壮大な夢を実現しようとする物語である。
 舞台は二〇世紀初頭のニューヨーク。煙草屋の息子であるマーティン・ドレスラーは、ホテルのボーイから身を起こし、やがて驚異的ないきおいで次々とホテルを建てゆくが……。
 ミルハウザーは先行する短篇で、もの作りに打ち込む天才の栄光と悲惨という本書に共通するパターンの作品を描いているが、本書には長篇ならではスケールがある。ホテルという商品の芸術度と商業的成功とがシンクロしてゆく高揚感と、やがてそれが乖離し、夢が崩壊してゆく過程を見事に描きあげている。なお、本書はピュリツァー賞受賞作。

 綿密な取材に定評のある若手作家二人の作品を紹介しよう。
 瀬名秀明の『あしたのロボット』は、近未来を舞台に人間型ロボットが登場する五つの短篇と、ロボットだけが存在する世界を描いた短篇を収録した連作短篇集。前作『八月の博物館』は藤子不二雄へ捧げられていたが、本書は手塚治虫へ、正確には「鉄腕アトム」に捧げられたほろ苦いオマージュである。
 いっぽう川端裕人の『竜とわれらの時代』は、恐竜とその発掘に携わる人々への畏怖に満ちた佳作。デビュー作『ロケットの夏』と同様の瑞々しさが魅力。

 荒山徹をご存知だろうか。まだ『高麗秘帖』、『魔風海峡』、『魔岩伝説』の三作が上梓されているだけなのだが、時代伝奇小説ファンは今から注目する必要がある。
 何れも豊臣秀吉の朝鮮出兵を軸にした波瀾万丈の長編小説で、織豊時代から徳川前期の日本と朝鮮を舞台に、多数の魅力的な登場人物を縦横無尽に動かす筆力は凄い。しかし、せっかくの魅力的な登場人物を作中で次から次へ殺してしまい、キャラクターの蕩尽というか、もったいな気がするなあ。
 時代小説として読むと、伝奇色が強すぎて、やや違和感があるかもしれないが、わたしなどは、その粗削りなところに強く惹かれている。

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