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1999年 |
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『SFマガジン』1999年9月号掲載。
SF MAGAZINE vol.519 |
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SF BOOK SCOPE /JAPAN |
草上 仁、『東京開化えれきのからくり』、ハヤカワ文庫
薄井ゆうじ、『創生記 コケコ』、マガジンハウス
新藤悦子谷、『時をわたるキャラバン』、東京書籍
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わたしはかなりの雑誌(小説誌を含む)を購読しているが、特別な例外を除いて、ほ
とんど連載小説を読まない。それは生来のものぐさと記憶力に自信がないからで、たく
さんの小説の登場人物やらストーリーを追い切れなくなり楽しめないと思うからだ。そ
れに作者は単行本化に際して加筆訂正を行うことが多いではないか。
そして、もしかしたらこちらが本命かもしれないが、好きな作家の作品を、月刊誌な
ら毎月、週刊誌なら毎週、新聞連載であれば毎日、そのつづきを楽しみに読むという快
楽と、単行本にまとまった時、一気加勢に読むという快楽の比較をしていて、経験上か
ら一気読みを選び取っているのである。
草上仁の『東京開化えれきのからくり』には、本誌<SFマガジン>の連載開始時
(九六年二月号)から注目しており、九七年度SFマガジン読者賞を受賞したのに、な
かなか単行本化されず、やきもきしつつ待つていた作品なので一気に読んだ。
本書は政治体制の大転換と異文化の流入とに揺れる明治初期の東京(江戸)を舞台
に、もと岡っ引きの善七と女房のおせん、その息子ステ吉の活躍を描く軽妙・痛快・活
劇・娯楽長篇だ。本書に描かれる東京は、まだ限りなく江戸に近い都市であり、明治はまだ黎明期であり、文明開化も庶民に充分に浸透してはいない時期である。作者はこの史実を巧みに改変し、東京の近代化を私利私欲のために悪用しようとする実業界の大立者の陰謀と、それを阻止しようする側の闘いを見事な活劇ストーリーに仕立て上げた。
この痛快な物語の中心となる親子三人と、それを助ける登場人物達がスリリングが時
代(新しいテクノロジーの奔流)に対して時には抗い、時には積極的にその流れに乗り
ながら生きる姿は感動的である。明治という時代の躍動感が伝わってくる。中心となる
ストーリーの他に、中年の善七、若い女房のおせん、息子のステ吉という一家に代表さ
れる<明治の東京>という時代における庶民の世代間ギャツプも見事に描き分けられて
いる。
また本書に描かれる東京は史実を改変された世界であるが、その改変のさじ加減が絶
妙で、いささかタガのはずれた登場人物達のキャラクター設定以外は、どこが改変され
ているの考えてしまうほどである。
作者への注文がただひとつある。
それは、善七一家を中心に、アメリカ人で謎の発明家たます、火消しの頭サクジ、イ
ンテリ警部の宮本、黒人花魁ばるばなどが活躍する本書の続編を一刻も早く書いて欲し
いということだ。クライマックス近くに姿をくらましたある人物の行方が気になってしょうがないのだ。
薄井ゆうじの『創生記コケコ』は、不思議な手触りをもった作品だった。主人公の
〈僕〉は、森の木の上で目覚めるが、自分の名前も、過去もすべて空白である。森に棲
むカケスやシマフクロウや蠍は、僕が鶏で、僕が朝を告げるメッセージを大きな声で叫
ばないと朝がこないという。やがて、僕は羊飼いの老人や悪夢を食べる貘に出会う。ス
トーリーは物語世界の構造を曖昧にしたまま進み、劇中劇的に描かれる架空世界でも、
そこはなぜか夜明けがこない世界で、その責任はどうやら僕にあるらしい。本書では夜
明けに関する様々なディスカッションが繰り広げられるが、それがやがて別のテーマに
連動し、移行するという構造になっている。難解な試みをサラリと読ませるこの作者の
文体には感心する。
新藤悦子の『時をわたるキャラバン』は、トルコを舞台にしたファンタジィ作品。他
人には感じられない匂いを感じることのできる特殊な嗅覚をもったスタイリスト友香
は、ふと立ち寄ったギャラリーで不思議な芳香を放つ絨毯に出会った。十三世紀に作ら
れたというその絨毯との出会いから、友香はイスタンブルへ、そして過去の世界へ迷い
込むことになる。イスラム圏を舞台したことが幻想を補強していて楽しめる。
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