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1999年 |
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『SFマガジン』2001年10月号掲載 |
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SF BOOK SCOPE /JAPAN |
1)筒井康隆『天狗の落とし文』新潮社
2)高橋源一郎『日本文学盛衰史』講談社
3)倉阪鬼一郎『ワンダーランドin大青山』集英社
4)南條武則『猫城』東京書籍
5)響堂 新『ゴールド』幻冬舎
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筒井康隆の『天狗の落とし文』を読み始めたら、頁をめくる手を止めることができなかった。そればかりか何度も声を出して笑ってしまった。
本書のタイトルとなっている「天狗の落とし文」とは、本来は〈どこからきたのかわからない怪しい手紙〉のことを指す。筒井版の「天狗の落とし文」の一部は、すでに『家族場面』に掲載されているから筒井ファンは承知していると思うが、形式としては無定型で、三行ほどの文もあるし、数頁に及ぶものもあるが、ほとんどが数行で終わる散文で構成されている。言語遊戯のようなものもあるし、ショートショート的なものも含まれる。
前述した『家族場面』や初出となる中間小説誌でいくつかは既読であったが、こうして一冊丸ごとの「天狗の落とし文」を読み終えてみれば、これが筒井流のショートショート集なのかとも思えてくる。
破天荒に繰り広げられる様々な散文からは、作家の思考を覗きみるようなスリルが感じられる。また、そこかしこに、動物学者の家に生まれ、早熟な天才として幼少を過ごし、演劇に夢中になり、SF作家となり……という筒井の履歴とアイディンティティに寄り添い、触れるような部分が興味深く愛おしかった。
高橋源一郎の『日本文学盛衰史』を読んだ。明治の作家たちを描いた作品には押川春浪を中心にした横田順彌の諸作、江藤淳の『漱石とその時代』や関川夏央&谷口ジローの『坊ちゃん時代』。嵐山光三郎の『文人悪食』、ごく最近では坪内祐三の『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』などフィクション、ノン・フィクション取り混ぜて優れた作品が多い。そして、本書『日本文学盛衰史』がそれらに加わった。
本書は言文一致体によって日本文学に革命を起こした二葉亭四迷の急逝の場面から幕を開け、その翌年に起きた幸徳秋水らの大逆事件が絡み、夏目漱石、森鴎外、石川啄木を筆頭に、現在では省みられることもない様々な文学者が入り乱れて登場する。しかし、これだけだと優れた明治文壇史に留まってしまうことになるわけだが、高橋は現代と明治の時空をつなげ、大胆に幻想を導入することによってリミックスされた新しい日本文学史を幻視させてくれる。特に作者と思しき人物が登場する後半はメタ(ノン)フィクションとでもいおうか、凄まじい迫力である。
倉阪鬼一郎の『ワンダーランドin大青山』は、過疎の村・大青山を舞台にした軽妙なファンタジィ。大青山村では隣村の温泉センターの成功に刺激され、世界一長い滑り台を売り物にしたテーマパークを作って村おこしを計画したが、その滑り台が開園直前に台風によって崩壊。急遽お化け屋敷をメインに開園を強行するが、当然のごとく失敗。大青山村はかってない危機を向かえていた。村を救うべく古来から村の近くの山奥に暮らしている狐の親子が立ち上がったが、悲しいことに深山に暮らす老狐のセンスは徹底的にズレていた。ユーモラスな事件の連続ながら、本書は、やがて奇跡のように美しい結末に辿りつく。なんとも不思議な余韻が残る佳作である。
南條武則の『猫城』も地方を舞台にしたファンタジーだが、こちらは東京での生活が破綻した詩人が主人公。地方の大学での講演を終え、予想外の謝礼を懐に温泉場に逗留しようとした主人公は、猫たちの町に迷いこんでしまう。郷愁とペダントリーと奇想が交錯するチャーミングな作品だ。
響堂新の『ゴールド』は、アジア人の主食である米(ルビ:こめ)をめぐる一種の謀略サスペンス。駐タイ日本大使館に医務官として勤務する主人公は、日本人だけが連続して死亡する事件を調べるうちに、バイオ・テクノロジーを用いて、米を単独で人間の生存に必要なビタミンやアミノ酸を供給できる食物、いわば完全食品にしよとしている謎の日本人に辿りつくが……
本書における食糧、しかも身近な米による世界変革というビジョンは興味深かったが、個人の理想と社会体制の鬩ぎ合いだけに焦点が集まりすぎて、物語のスケールが小さくまとまってしまったのは残念。
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