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『SFマガジン』2000年5月号掲載
SSF MAGAZINE vol.529/05/2000 |
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[SF BOOK /CROSS REVIEW ]恩田陸 、『月の裏側』、幻冬舎 |
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恩田陸の長篇『月の裏側』を3日前に読み終えた。不思議な読後感が今も強く残っていて、他の小説や雑誌を読みながらも、『月の裏側』の一節をボンヤリと思い出したりしている。
大手レコード会社のプロデュサー・塚崎多聞は、恩師の三隈協一郎に誘われて梅雨を迎えた箭納倉(やなくら)を訪れた。複雑に入り組んだ堀割によって今も郷愁を誘う水郷都市のイメージがある箭納倉では、行方不明になった老人が二週間ほどでひょっこり帰ってくる事件がつづいていて、協一郎によれば、多聞は、この不思議な事件を解決する「ゲーム」に招かれたのだ。京都の料亭に嫁いでいる協一郎の娘で、多聞にとっては大学の後輩にあたる藍子もやってくるという。
やがて、三隈父娘と多聞、地方紙の記者・高安は、行方不明になって戻ってきた人たちを調べるうちに、彼等が何者かによって人間ではない別のものに入れ変わっていること、しかも入れ変わりが恐るべき早さで進行していることに気がついた。
さて、評者は、本書を楽しみながらも、この作品をどう紹介するかという手段を考えてきたわけだが、少なくともストーリーを短く要約して、興味深い着想や登場人物の魅力を語るという平均的な書評のスタイルだけでは、この不思議な作品の魅力を伝えきれないだろうという思いが頭から離れなかった。
結局、いくつか思い付いたことを書き連ねることになるが、それが正しいかどうか、未だに確信が持てないでいる。
ジャク・フィニイに『盗まれた街』という作品がある。アメリカの中西部にある平和な地方都市を舞台にした侵略SFだ。評者は高校生の時に読んでいるのだが、現在は手元にこの本が無い。そのために正確ではないが、次のようなストーリーである。
ある日、街の人々が外見も行動もそのままに、人間ではない《何か》に変わっていくことに気がついた医師は、真相を追い求める、やがて彼が知ったのは、人々が何者かによって入れ替えられている事実だった。そして彼の周囲の人々も次々と何かに変わりはじめて……。
SFというよりもサスペンス・スリラー色が濃い傑作で、映画化もされているので小説を読んでいなくても、このストーリーを知っている人も多いだろう。
恩田陸の『月の裏側』も、基本的なストーリーは、このフィニイの『盗まれた街』の巧みな変奏曲である。アメリカ中西部の街が、本書では、複雑で精密機械に例えられるほど巧みに張り巡らされた水路のある架空の水郷都市・箭納倉になり、街の人々の異変に気がつくペンネル医師に対応する元教師・三隈協一郎も登場する。他にもいくつか対応する部分がある。しかし、本書を『盗まれた街』へのオマージュや本歌取りとして紹介するのでは、この繊細な作品に対して、あまりにも粗雑にすぎる。
フィニイの『盗まれた街』を現在の時点から見ると、ある街が何者かによって密かな侵略を受け、隣人が得体の知れない何かに変容する恐怖は、モダン・ホラーの典型的な枠組みであり、『盗まれた街』がそれらの先駆的な作品であったこと、書かれた当時の状況から、隣人の変容が思想侵略のメタ・ファーであることも了解できる。
本書で描かれる侵略の構造は、謎めいていて、最後まで明確な目的が明かされないまま進行する。
多聞、協一郎、藍子、高安のそれぞれの視点から、それぞれの関係性・個人史を含めて描かれる本書の侵略は、意志を持った街が、そこに棲む人々を自らの内部に取り込んで一体になろうとしいるようにも読めるし、太古から水の中に存在し、現在の生物の素になった生命体が、水郷の街の水路に生存していて、人類との再結合をはじめたのかもしれないのだ。その曖昧さ不確かさにサスペンス・スリラーを大きく逸脱する魅力がある。恩田陸の文体で描かれた小説だけが有する魅力。言い換えれば、芸の無い表現だが、恩田陸だけが描ける人生のやるせなさ、切なさが本書にはある。
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SF BOOK SCOPE /JAPAN
1、井上夢人、『オルファクトグラフ』、毎日新聞社
2、板東眞砂子、『道祖士の猿嫁』、講談社
3、井上雅彦監修『異形コレクション15
宇宙生物ゾーン』、廣済堂、廣済堂文庫
4、京極夏彦、『どすこい(仮)』、集英社
5、村上春樹、『神の子どもたちはみな踊る』、新潮社 |
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