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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第一回》 ヒマラヤの屍体

  しばらく前に、ある雑誌でショッキングな写真を見た。
  ヒマラヤのエヴェレストの高峰の雪の中に、累々と横たわる屍体の写真である。
  その屍体は登山家のものである。
  つまり、偶然にその場所で死んだ人々ではないのだ。
  彼等は、自らの意志で、望んでその場所にやってきた者たちばかりである。
  ある屍体は死ろう化し、ある屍体は白骨化し、真新しいものについては、つい数日前まで生きていたような顔をして横たわっている。
  チョモランマ・ツアーという、旅行というか、ツアー登山のスタイルがある。
  三〇〇万円から四〇〇万円のお金を払ってそのツアーに参加すれば、チョモランマ――つまりエヴェレストの頂上まで、ガイドが案内してくれるというものだが、年々、このツアー客が増えている。しかし、いくら、ガイドつきで、ノーマル・ルートでゆくといっても、エヴェレストはそんなに楽な山ではない。
  標高八八四八メートル。
  世界の最高峰である。
  頂上は、国際線のジャンボ機が飛行する高さにあり、空気は――ようするに酸素は地上の三分の一しかないということになる。
  この高さでは、高山病が出る。
  普通、一五〇〇メートルを越えて、二〇〇〇メートルあたりから、人によっては高山病の症状が出始める。
  ぼくでいえば、二〇〇〇メートルをいくらか越えたあたりから出る。酸素が少なくなるために出る症状で体力の低下、食欲不振、頭痛、吐き気がその初期だ。
  それが極まってゆけば、歩けなくなり、食べたものを吐き、肺水腫になる。
  肺に水泡ができ、呼吸をするたびに、のどがごろごろと鳴るようになる。同じテントでこのような症状の者が出たら、すぐにでも酸素が濃い標高の低い地点に下ろさねばならないのだが、本人が歩けなかったら、ヒマラヤなどの場合は、まず、下ろす術はないと言ってもいい。
  脳浮腫にもなる。
  さらには、眼底出血をし、視力が低下し、死ぬ。
  幻覚も見る。
  ぼくも、何度かヒマラヤへ行って、この高山病では恐い目にあっている。
  ある友人は、この高山病にかかり、やっと運び込まれたチベットの病院で、幻覚を見続けた。 「日本中の佐藤さんが、おれの病室に集まって、おれをのぞきに来るんだよ」  と、彼は言った。
  男、女、大人、子供、老人――たくさんの人がいて、それがみんな佐藤さんなのだという。
  彼らが、だいじょうぶか、だいじょうぶかと言いながら集まってくるというのである。
  ある友人のカメラマンは、エヴェレストの頂上近くで、谷の底を歩いてゆくちょうちん行列を見たという。
  実にリアルな映像であったというが、これも幻覚である。
  この高山病にならないためには、高度順応をするしかない。
  高い高度、つまり、酸素が薄いという状態に、自分の身体を慣らしてゆくのである。
  一日に、上げていい高度は、四〇〇メートルから五〇〇メートル。
  たとえば、一日に、八〇〇メートル上までゆき、その地点で半日行動してから三〇〇メートル下がったところでキャンプをする。これだとプラスマイナスで五〇〇メートル高度を上げたことになる。
  これを繰り返す。
  ポイントとなる場所や高度では、その高度で何日か暮らす。
  エヴェレストで言えば、途中、富士山くらいの高さのところに、ナムチェ・バザールというシェルパの村があるから、そこで三泊くらいし、近くの丘に登ったり下りたりということをする。
  そして、その高度に完全に自分の身体を順応させてから、高度を上げてゆくのである。
  高度順応というのは、血液中の赤血球、ヘモグロビンの量を増やす行為である。酸素が薄くなれば、赤血球の数が増えて、人間の肉体は酸素を体内により多く取り込もうとする。この機能が働くのにもそれなりの速度があるから、一日に、いっぺんに高度を上げてはいけないのである。
  さらに書いておけば、この高度順応にも限界があるということだ。どんなに努力をしても、順応できない高さがあるのである。
  それは、標高六〇〇〇メートルから六五〇〇メートルくらいにある。
  この限度を越えた高度になると、人間は、何もしないで眠っているだけで疲労してゆくのである。つまり、どんなに天候にめぐまれていても、標高八八四八メートルのエヴェレストという山に登る限り、高山病の症状は出るのである。
  ヒマラヤの高峰が、どれほど過酷な条件下にあるか、おわかりであろう。
  ぼくは五〇〇〇メートル近くの高度でキャンプをし、眠れなくて困ったことがある。
  眠っていると、呼吸の速度が普通の速度になってしまい(つまり起きている時は意識的に速い呼吸をして酸素の摂取量 を調整しているのだが、眠るとそれができなくなるのである)、息苦しくなって、テントの内側を掻きむしるようにして起きあがってしまうということが、何度となくあったのである。
  こういう場所を越えて、さらなる高みにチョモランマ・ツアーの客はゆくわけだから、エヴェレストの高峰の雪の中に、屍体が増えてゆくのも無理はない。
  ぼくは、しばらく前に、二〇年がかりで書き終えた『神々の山嶺(いただき)』という本を集英社から出したのだが、この本にも屍体が出てくる。 “何故山に登るのか”  と問われて、 “そこに山があるからだ”  と答えたのは、G・マロリーという登山家だが、このマロリーの屍体にからむ話である。
  このマロリー、もしかしたら、一九五三年にエヴェレストに初登頂したヒラリーよりも先(二十七年前)に、エヴェレストに登ったかもしれない登山家である。しかし、それがわからない。
  何故かというと、マロリーは、エヴェレストの頂上アタックに出かけたままもどってこなかったからである。下から見ていた隊員の話では、ほとんどエヴェレストの頂上近くまでせまっていたというから、マロリーが頂上に立った可能性は高い。
  それを知るにはひとつの方法がある。
  マロリーは、一台のカメラを持って出発しているから、もし、エヴェレストの頂上に立ったのなら必ずや、そこで写 真を撮ったはずである。
  つまり、エヴェレストの頂上近くにあるマロリーの屍体を発見して、ザックの中からカメラを見つけ、その中に入っているフィルムを現像すればいいのだ。
  ここまでは事実。
  ではさて、そのマロリーのカメラと思われるものが、ネパールはカトマンズのとある骨董屋で売られていたら、これはどうなるのだろうというのが、ぼくの小説の話なのである。興味をもたれた方は、ぜひ読んでみていただきたいという、やや、これは自分の本の宣伝になってしまったではないか。

 

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