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《第六回》 格闘技の現在形 |
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プロレスの一番とんがった部分を見つめ続けてきた。
そもそもの始まりは力道山であった。その頃からプロレスを見てきて、猪木にぶつかり、
旧UWF、新生UWF、リングス、そしてパンクラス、シューティングと風景は移ってき
た。今は、リングスを気にしつつも、主にパンクラス、シューティングを積極的に観に行
っているという状態である。
プロレスの一番尖っている部分を見つめていたら、猪木、前田、佐山、船木と、いつの
間にか、現在のこの場所まで運ばれてきてしまったということである。
結果として考えてみるに、そもそも猪木を見つめはじめた時に、この場所までやって来
ることは約束されていたのだろうと思う。これは、今思えば運命であり、必然であったの
である。
猪木と平行して、一方には大山倍達の極真会館があり、そちらからのひとつの流れは、
大道塾という先端にたどりつき、別の流れからは、K1が生まれ、K1はいよいよ米国興
行なろうかという時代に突入している。このような時代の潮流にさらされながら、本家極
真は分裂しつつも、今なお孤高して極真であり続けている。
そして、ついに、極真にも総合の波が押し寄せた。なんと増田章の道場で総合的な技の
研究が始められるというのである。
まったく、凄い時代にめぐり合わせたものである。
総合とK1が、今後の格闘技界の主流となってゆくであろうと、以前から書いていたが、
昨年は、はっきりとそのふたつの流れの答えが見えてきたのではないか。
総合においては、ひとつの結論が出ている。それは、ひと口に言うなら、バーリ・トゥ
ードで勝ち残るには、これまでにあった空手の技術だけでは駄目であるということだ。そ
れと同様の意味で、レスリングの技術だけでも駄目であり、柔術だけでも駄目であるとい
うことである。
ブラジリアン柔術のバーリ・トゥード用システムでさえ、アルティメットでは勝てなく
なってきていることを考える時、バーリ・トゥードで勝つためには“総合”という思想に
裏付けされた技術が必要なのであると、はっきりわかってきたのではないか。
K1においては、いよいよ国内での作業は終わったのではないかということだ。終わっ
たというよりは、新しい段階に入ったのではないか。これまでF・フィリヨが、K1でど
のような戦いをしようとしているのか、どこまでK1で通用するのか。それが、見えなか
った。見えないことで、フィリヨの神秘性がぼくの内部で高まっていった。
しかし、昨年のK1東京ドームで、ようやく、K1におけるフィリヨが見えたような気
がするのである。今後、フィリヨは神秘の選手ではなく、アンディがそうであったように、
K1における強豪選手という位置に落ちついてゆくであろう。
フィリヨが見え、K1でドームが満杯となったら、このあとK1は海外(アメリカ)へ
出てゆくしかないではないか。
想像するに、順序としたら、当然、ラスベガス、ロサンゼルス、ニューヨークというこ
とになるであろう。ニューヨーク、すなわち、世界である。K1がニューヨークのマジソ
ンスクエアガーデンを満杯にし、ペーパービューで高視聴率を獲得した時こそが、K1が
ボクシングの横に並ぶ資格を与えられる時だ。
このアメリカ進出のことを思う時、モーリス・スミスという人材は欠かせない。エクス
トリーム、アルティメット、ここで王者になったスミスはなんとおいしい選手だろう。
かつて、古代オリンピック競技で、ある年度の大会において、パンクラチオン、ボクシ
ング、レスリングと、三つの競技に優勝した選手がいた。このスミスが、K1で優勝とい
うことになれば、その古代オリンピック競技で三種目制覇した選手に匹敵する快挙という
ことになるかもしれない。
今、K1が抱えている課題というのは、次の三つにつきるであろう。
(1) 世界進出。
(2) 軽量級、中量級の問題。
(3) 大型日本人選手の育成。
特にBと@は密接につながってくるのではないか。K1が日本を出て世界へ出て行った
時、そこに日本人観客の魂の拠り所となるべき大型日本人選手がいるといないとではだい
ぶ違うからである。
さて、今後の、総合はどうか。
これまで、拡散し続けてきた総合は(ここで総合という時は、アルティメットも、バー
リ・トゥードも、パンクラスもシューティングも、大道塾も含まれている)、これからは、
交流と統合の時代に入ってゆくのではないかと思われる。
ルールについては、あらゆる実験が出尽くした感がある。
グローブの有無、ジャケットの有無、スーパーセーフの有無。
パンクラス、シューティング、大道塾は、すでに同じ太陽の周囲を近い距離で公転する
惑星である。大きな意味で、日本に総合が根付くかどうかは、パンクラス、シューティン
グ、大道塾、慧舟会等の各団体が、どのような交流を持つかということに尽きるのではな
いか。今年から来年にかけて、どのくらい友好的な交流が、これらの団体においてもてる
かどうかが、日本の総合の鍵を握っていると思えるのである。今年ほど、その交流の気運
が高まっている時期はないのではないか。時代の準備は全てととのっている。
しかし――
ぼくにとって、いまだに不明な大きな要素が、この日本の(あるいは世界の)“総合運動”
にはある。その要素というのは、正道会館である。
今の総合の流れの中で、やはり、鍵を未だに握り続けているのが、正道会館ではないか。
正道会館には、平直行がやっている柔術クラスがあり、そこでは選手が次々に育ちつつ
ある。総合におけるかなりベーシックなものが、柔術の中に含まれている。これを考える
時、正道会館は、総合という分野においても、かなり大きな鍵を握っていることになる。
K1が軌道に乗り、K1をある程度任せることのできる選手とは別の人材が、正道会館
にどの程度育っているかがポイントになるのではないか。自分を例にとって恐縮だが、ぼ
くは、ひとりの人間が、一日にどれだけのことができるか、ある程度は理解している。ど
こまで忙しく動くことができるかわかっている。結論は、どれほど優れた人物であろうと、
一日に二十四時間以上働くことはできないということだ。
これを思う時、K1で、石井館長は一日の多くの時間を使ってしまっているであろう。
総合に使用する時間がどれだけあるのか。
正道会館がこれまでに挙げてきた実績から考えた時、正道会館が本格的に総合に参入し
てきた時、その影響力は、決して少なくないものがある。
正道会館が、総合にどういうビジョンを持っているか、どう関わってくるかが、総合に
とって要素としては極めて大きいのに、今ひとつその風景がよく見えないのは、石井館長
の身体がふたつないからという、そこに尽きるような気がしているのである。ぼくには、
他に、理由が思いあたらないのだ。
しかし、この見えない要素も、今年はもう少し明確に見えてきそうな気がしており、そ
うなれば、総合の未来が、もう少し見えてくるような気がしているのである。
ともあれ、総合ということを考える時、船木誠勝、佐藤ルミナ、中井祐樹という人材は、
日本の至宝である。
彼等が、正当なる評価を得る方向へ時代が進んでゆくことを願いつつ、次回はハワイに
おける中井祐樹の柔術パンアメリカン・トーナメント出場について、お届けしたい。 |
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