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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第二十三回》北国行感傷旅行

 北海道に来ている。
  半分仕事、半分プライベートの旅行である。
  電車に乗っている。
  石勝線である。
  今、眼の前を、晩秋の北海道の原野の風景が流れてゆくのである。黄色から赤くなったカラマツの林が、雨に濡れて美しい。
  十一月の七日。
  二日前は雪が降っている。
  昨日、睡眠不足の状態で、ただひたすら機内で原稿を書き続け、札幌に到着した。
  朝メシを食べたきり、昼メシも食べずにインタビューを受けたり飛行機に乗ったりしながら札幌に着いたら、もう夕方なのである。
  ホテルにチェックインして、さっそくFAXで原稿を送ったら、もうむかえの車が来てしまった。
  この十日間で、八日もNHKの仕事で東京に出ていたのだ。
  たった一本の番組をやるだけなのに、安いギャラで、なんでここまでやるのかというほど時間を取られているのだが、それを覚悟で出演をOKしたのである。
  教育テレビの「未来潮流」という番組である。“総合格闘技”をテーマとして一本まるまる格闘技もので番組を作ってしまおうというわけなのだ。
  放映は12月。格闘技の聖なる伝導師としては、たとえ千円のギャラでもやらねばならない仕事なのである。
  シューティングの佐藤ルミナ、パンクラスの船木誠勝、大道塾の東塾長、正道会館の石井館長にインタビューをして、東大最強の助教授松原隆一朗と対談をした。
  この番組作りと平行して、家では庭を改修中であり、その打ち合わせもあり、柴錬賞受賞によって生じた細かな仕事もあり、馬瀬川の釣り小屋に入って天野喜孝が絵を描いていった皿を素焼きにしてくるという作業もこの間にはやっていたのである。
  そんなこんなで、この何日間は、一日に二本ずつの原稿をぶち込みながら、ほとんど眠っていない状態であったのである。
  頭ががんがんするのだが、ともかく札幌市内のホールに車で移動する。
  そこで、シンポジウムに出席するためである。
  NHKの番組で、北海道の観光がテーマである。 「北海道の魅力は、人間ひとりあたりで享受できる自然の量がケタちがいに大きいことです。人がたくさん来たら、ひとりあたりで享受できる自然の量が減ってしまうので、観光客が増えない方がぼくはありがたいです」
  ぼくは、はじめから、このようなとんでもない発言をしてしまった。
  打ち上げを途中で抜け出して、ホテルの部屋にもどり、また、原稿。これが昨夜だ。
  今朝は早朝に起きてまた原稿を書いた。
  共産党の不破哲三委員長の山荘にあそびに行った話を十三枚。
  これをFAXで送って、タクシーで札幌駅に駆け込み“鮭弁当”を買って、電車に飛び乗った。
  そして、弁当をむさぼるように食べてから、今、この原稿を書き出したところなのである。
  札幌から帯広まで。
  この原稿を書き終えたら、夕方に講演を一本こなして、夜ホテルに入ってまた原稿を一本やることになっている。
  なんと、今日は、三本も原稿を書かねばならないのである。
  しかし、これを終えれば、なんと明日はようやく釣りができるのである。
  プライベート半分というのは、この釣りのことなのであった。
  帯広の友人から、講演の仕事を頼まれたのである。 「ギャラは安いけど、いい釣り場に案内しますから」 「行きます」
  ふたつ返事でまとまった仕事なのであった。
  雪の中、薄氷のはった水面へ、ドライフライを投げると、がばっとでかいイトウが喰いついてくるというのであった。
  それを楽しみに、今、せっせとこの原稿を電車の中で書いているというわけなのであった。
  それにしても――
  原野の上に、重く雲はたれこめ、風景は氷雨に薄くけぶっているのである。 「この雨は雪にかわるなあ」
  札幌で駅まで乗ったタクシーの運ちゃんはそのように言った。
  しむかっぷ駅に着く。
  運ちゃんの言葉通りに、いよいよ雨は雪にかわりそうである。
  そういえば、かなり昔にこちらの方に独り旅できたことがあった。
  十代であったか、二十代の初めであったか。
  原因は失恋である。
  女に振られると、どうして、人は北国へ向かってしまうのだろう。
  あ、人ではなく、おれか。
  ともかく、その時も、おれは、宮沢賢治の詩集を一冊だけ抱えて、この時期に北海道を独りでうろうろしていたのだった。
  思い出してもしみじみとお恥ずかしい体験であった。
  いつであったか、野田知佑さんにこの話をしたら、 「そうか、獏さんは北か」
  そう言った。
  たぶん、野田さんは、女の子にふられると南へゆく人なのだ。
  パンクラスの船木が、ぼくに言っていた言葉を急に思い出した。
  前記のテレビのインタビューをしている最中に、 「獏さん、これからのバーリトゥードは立ち技ですよ」
  船木はそう言った。
  言われて、あっ、と思った。 「寝技をみんなが研究するようになってくると、もう、寝技では決着がつきにくくなってくるんですよ。それで、結局、立ち技の打撃で決着がつくようになると思うんです」
  なるほど、そう言われてみれば、その通りかもしれない。
  すでにその傾向が、バーリトゥードや総合格闘技系の試合にあらわれはじめているのである。グレイシー柔術が出てきた時は、 “結局は寝技か”
  と思いかけたこともあったのだが、バーリトゥードで、案外に打撃が勝利を収める傾向が、ここしばらく多くなってきているような気がする。
  そのように感じてはいたのだが、 「バーリトゥードは打撃ですよ」
  と、船木のように言いきることができなかったのである。
  打撃――なんだか、そんな気がしてきた。
  バーリトゥードは、大きなゆりもどしが今来ている最中なのだろう。今後は打撃がその闘いの中心的な位置を占めることになってゆくのかもしれない。
  そのあとに、もう一度ゆりもどしがあって、総合は、技術的にもルール的にも、おさまるところへ収まってゆくのではないか。
  それにしても、船木は不思議な選手である。
  船木はまだ二十代なのだが、インタビューしていてどうにも歳下の人間と話をしている感じがしないのである。
  それは、たぶん、彼が自分のやりたいことをしっかりと自覚していることと、プロレスの世界でたくさんの体験をしたからなのだろう。
  窓の外の風景は、あいかわらず流れてゆき、ぼくの心はとりとめなく移りかわってゆくのだが、その心象をスケッチしてゆくには、もう枚数が尽きてしまった。
  明日は釣れますように。

 

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