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お気楽派

下のタイトルをクリックすると各エッセイを回覧できます
●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第九回》 最終小説

  ここ十年余り、あるひとつの小説のことを考えている。
  まだ、この世に存在していない小説のことであり、つまり、いずれこのぼくが書くこと になるはずの小説のことである。
  どのような小説か。
  たとえて言うなら“最終小説”である。
  何故、“最終小説”なのか。
  それは、ぼくが書こうとしているのが、その話を書いてしまったらもう、二度と小説を 書かずにすんでしまうような小説だからである。
  神について書こうと思っているのである。
  つまり、ひとりの書き手が、神について、本気で、真剣に書いてしまったら、もう、精 神的に出がらしになってしまってどのようなリビドーも、自分の内部に存在しなくなって しまうだろうと思われるからである。
  たとえ、いくらかのアイデアがまだ残っていて、多少のリビドーが残っていたとしても、 “神について本気で書く”ことに比べたら、色褪せてしまい、もう、それを書こうという 気力が喪失してしまうのではないかと思う。
  そうすると、どうなるか。
  これは、つまり、ぼくがようやく自由になるということなのだ。
  もう、小説や物語を、ひいこら言いながら紡出す必要がなくなり、毎日、好きな釣りを したり、本を読んだりしてすごせばいいという日々に突入することになる。そのような小 説を、もし、書きあげてしまったら、その本はおおいに売れるであろうから、残りの人生 をその本の印税で食べてゆけばいいことになる。まことに、他人が見ればうらやましい生 活をすることになってしまうのである。
  さて、では、具体的に、その“最終小説”はどのようなものになるのか。
  まず、霊であるとか、魂であるとか、そういうものが存在するのかしないのか。すると したら、どのような文学によって存在するのか。そういうことが全てその小説には書かれ ることとなる。
  世界中の神話、伝説、宗教書の真の意味がそこでわかることになる。
  次には、UFOと宇宙人についても、その書ではきちんと記されることになる。
  占い、であるとか、予言、であるとか、超能力についてもわかることになっている。
  ゴータマ・シッダールタや、ナザレのイエスについてもきちんと記されることになる。
  次には、宇宙の広さについて、時間と空間の量について、宇宙の始まりと終りについて も記されることとなる。物理学や宇宙論で言うなら、統一原理について記されることにな り、そこで、初めて、人類は、光と重力が等質のものであることを知ることになるのであ る。
  次には、生命についても記されることになる。
  意志についても記されることになる。
  何故、我々は生まれ、生き、死んでゆくのか。
  何故、我々は意志するのか。
  これについても、逃げることなく書き記さねばならない。
  進化であるとか、獣人化現象であるとか、そういうことについても、その“最終小説” ではわかってしまうのである。
  つまり、このぼくが、長い間、疑問に思い、考えてきたことが全てそこではわかってし まい、最終的には、 “神とは何か”
  という問いの答が、そこに示されることになっているのである。
  しかも、最高のエンターテイメント小説であり、伝奇小説の装いをさせて、ぼくはその 本をこの世に送り出してやろうと考えていたのである。
  まことに凄いことになっているのである。
  いつか、そのような小説を書かねばならないと決めており、作家となった以上は必ずや その無謀とも思える試みに挑戦すべきであろうとも思っている。
  それを、これまで書けなかったのには、理由がふたつある。
  ひとつは、明らかに、書き手としてのぼくの実力不足である。
  ふたつめは、これはひとつ目に比べてやや弱いのだが、そのような小説を書いてしまっ たら、さっきもいったように、もう他の作品を書く気力がなくなってしまうであろうし、 そうなってしまっては、なんだかつまらないと考えていたからである。
  こういう物語を書くという大それた考えをひそかに胸に抱き続けてきたことは、これま で、誰にも言わずにきた。
  それをここで書いてしまったのは、数年ほど前から、その方法論が、ようやく見えてき たからである。
  しかも、仏、神、あるいは生命、宇宙、そのようなものの輪郭が、言葉である程度とら えることが可能な状態に、ぼく自身がなってきたからである。
  鍵となるのは、 “脳”
  である。
  脳について、徹底的に書いてゆくことによって、どうやら、この小説の全体像が見えて きそうなのである。
  瀬名さんは、すでに同様のアプローチをしておられるし、このことはもはや、秘密にし ておくべきことでもなくなった。
  こうやって、いつか書くぞ、いつか書くぞと言い続けていると、十年後にはそれを書き 始めることができ、さらに十年後にはそれが本になるという“力学”がぼくの中にはある。
  ちなみに、UFOについていうなら、ぼくは“UFO”はあると思っているし、あるの があたり前だと思っている。
  つまり、これは“UFO”を、本来の意味の“未確認飛行物体”として考えた場合にと いうことだ。
  @空に、何やら確認しきれない飛行物体がある。
  Aしかし、それに宇宙人が乗っているかどうかはわからない(おそらく乗っていないで あろう)。
  というのが、ぼくのスタンスである。 “UFO”が見える時、それは可能性だけで言うなら、気球であるかもしれないし、金星 であるかもしれないし、霊であるかもしれないし、飛行機であるかもしれないし、宇宙人 が乗っているかもしれないし、霊が乗っているかもしれないし、たんなる錯覚であるかも しれない、ということである。
  宇宙人については、
  @宇宙人はいる。
  Aしかし、宇宙人は地球に来たことはない(まだ証明されていない)。
  というのがぼくの立場である。
  Aについて言えば、来てないということも証明されてはいないのだが、だからといって、 それが来たことの証明にならないのは、おわかりであろうと思う。
  たとえば、 「実は宇宙人がプレスリーを殺した可能性がある。宇宙人が、プレスリーを殺してないと いうことが証明されていないから、この可能性は否定できない」
  という理屈がおかしいのと同様である。
  ともかく、この“最終小説”、すでにある程度の方法論というか、手口も見えており、本 当に、あと十年くらいしたら、書き出すことができるのではないかと思う。

 

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