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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊

 今年も、北海道の網走までやってきてしまった。
  網走湖でワカサギ釣りをするためである。
  正月は、ニュージーランド(つまり南半球であるため、あちらは真夏である)で、Tシ ャツ姿でマス釣りをしていたのに、それから半月余りのうちに、厳寒の地でまたもや釣り である。
  毎日毎日、遊び歩いているような気がして、このような原稿を書くのも、世間に対して 申しわけないような気がしてきてしまうのだが、かんべんしてください。たとえ遊びに行 った先でも、他の仲間が楽しい釣りに出かけている最中に、ぼく独りだけホテルの部屋に こもって、このように原稿を書いているのである。
  毎年、一月の二〇日前後に、仲間に誘われて、ワカサギ釣りに出かけている。いつもは 同じ北海道でも糠平湖(ぬかびらこ)という、山上湖で糸を垂れるのだが、そこのワカサギ、最近は不調 であるというので、この数年、網走に足が向いてしまっているのである。
  糠平湖では、マイナス三〇度を体験したこともあり、痛いほどに寒い。
  朝の五時半頃にホテルから外に出ると、ほっぺたにぱあんと張り手をくらわされたよう に、寒気が襲いかかってくるのである。
  今回は、二日間釣りをしたが(三日目の今日は仕事で居残りである)網走湖はマイナス 十八度。これはまことにおだやかな温度であるのだが、しかし、寒い。
  たくさん着こむ。
  下半身には、まずパンツを穿き、登山用のももひきを穿き、その上にフリースのズボン、 さらにその上に、スキーで穿くような、胸まである、羽毛入りの防寒ズボンを穿く。
  上半身にはまず登山用のテビロンの長袖の下着を着る。その上に、長袖のウールの下着 を着、その上にフリースのセーターを着、一番上には、羽毛のたっぷり入ったフード付き の防寒コートを着る。
  頭部には、眼と鼻の穴と、口だけが出るウールの目出帽を被る。
  これで、たとえ、マイナス十八度であろうと、マイナス二十八度であろうと、なんとか 寒さは防ぐことができるのだが、問題は、足の爪先と、手の指先である。
  なにしろ、十センチ前後の小さい魚であるため、それに使用される仕掛けもたいへんに 小さい。手で握れば隠れてしまうくらいの小さな竹の柄に、いきなり、二十五センチくら いの長さの、柔らかな柔らかな竹先がくっついており、水深十メートルの底近くにいるワ カサギを釣るのに、糸を巻き上げるのも手で糸をたぐらねばならない。
  ハリは、二号の秋田キツネであり、糸は〇・四号。それに、ラビット(小さいという意) のサシ(ウジのこと)をエサとしてつけねばならない。このエサ付けや、釣れた魚をはず してまた糸を湖底に落としたりという作業は、手袋をしていては、とてもできるものでは ない。最低でも、両手の親指と人差し指の第一関節までは露出していないと、この作業が たいへん不自由なのである。
  どうするかというと、普通の手袋の、親指と人差し指の先の部分をちょん切って、さら にその上から、これははじめから親指と人差し指の部分がない、釣り用の手袋をはめて二 重にして釣りをする。それでも、両手で、四本の指が、寒気の中に露出していて、絶え間 なく濡れるので、ここが冷たさで痛くなり、最後には痺れて痛みも感じなくなってくるの である。半分、凍傷にかかってしまう。
  あとであたたかい風呂に入った後、夜にこの指先が痛むのである。
  これを防ぐために、各自、カイロを使ったり、左手用のポケットを創ったりとか、色々 工夫をしているのだが、完璧なシステムはまだできていないのである。
  そして、足の爪先が曲者である。
  ぼくも、仲間の多くも、カナダ製の防寒ブーツを履いており、これは、外の革の内側に、 フェルトのインナーブーツがはいっている。つまり、二重構造になっているのである。こ れに普通の靴下と、ウールの靴下を二重に履いた足を突っ込んでいれば、たいていの寒さ はだいじょうぶなのだが、それでも爪先は寒さで痛くなってくるのである。
  爪先は、血の流れが悪いため、すぐ冷えてしまうからである。
  さらには、靴下を履き過ぎたりすると、靴で足が圧迫され、血の流れが止まり、なお悪 い状態になってしまうため、靴下をたくさん履けばいいというものでもないのである。
  たとえば、網走湖全体が結氷する。
  氷の厚さは三〇センチ。
  これに、手回しの穴あけ機で、穴を穿ち、その穴から釣り糸を垂らす。
  釣れれば、手や腕が動き、その動きの中で後背筋なども動くため、上半身は、自分の身 体を燃焼させながら温度を保つこともできるのだが、下半身は動かない。凝っとしたまま である。
  歩いたりしていれば、同じその環境の中でも、足の温度を保っていられるのだが、夜明 け前からはじめて、陽が沈むまで、実に十時間近くも、風の吹く氷原に、座っていること になる。
  これでは、足が冷えるのはあたりまえである。北海道に住んでいるSさんが、いつも道 具を持ち込んで、釣ったばかりのワカサギをからあげにしてくれたり、うまいうどんをつ くったりしてくれるので、なんとか、この寒い氷原上でもしのいでいられるのだが、しか し、それにしても、みんなよくも毎年、こうして、出かけてくるものであると、感心して しまうのであった。
  我々の釣り風景を見に来た地元の釣り師が 「東京の人にはかなわないねえ」
  半ばあきれてそのように言っていたが、我々も我々自身にあきれているのである。
  誰も、市販の竹など使用せず、全て手作りである。竹を買い込み、竿先のエンビを削り、 その竿先につけるアタリをとるための目印まで、自分のお手製である。約十名。カメラマ ン、編集者、ドクター、職種は色々であり、
  「いったいどういう仲間なんですか」
  「どこかの釣り道具屋さんが主催してるの?」
  地元の人々にも我々の集団が理解できないのである。東京から、わざわざ飛行機に乗っ て、網走までワカサギを釣りに来る――それほどのものなのかいなこの釣りが、と思うの もよくわかります。我々の正体は、実は、単なる釣り助平の集団なのであります。

 

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