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《第十四回》出生率低下なるも北斗旗おもしろし |
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世の中、おかしい。
きっと、このような言葉は昔から言われ続けてきたのであろうし、これから先も言われ続けてゆくのであろう。ぼくが今書いた“おかしい”は、当然、“今の世の中”のことである。
人口のことについて書いておきたい。
厚生省の発表によれば現在、赤ちゃんの出生率がどんどん下がって、一九九七年は、過去最低の1.39人(女性が一生の間に何人の子供を生むかを示す合計特殊出生率)となったそうである。
おかしい、というのは、この出生率の低下のことではない。出生率の低下そのものは、ぼくは自然な現象として理解している。環境ホルモンの影響で、ということになれば、これはたいへんなことだと思うのだが、今のところは、この出生率の低下については、環境ホルモンの影響ということは考えられてない(実はある可能性はあるのかもしれないが)。
おかしい、というのは、このことに対する多くのマスコミや知識人の反応である。ぼくの見聞した範囲で言えば、いずれも判で押したように、“出生率の低下はたいへんな問題である”という論調の発言ばかりがなされている。
“出生率の低下”は、つまり人口が減ることであり、人口が減ることはたいへんに望ましいことではないかと、ぼくは思っているのである。現在、地球や人類社会が抱えている問題の多くは“人口が多いこと”に原因するものが少なくない。
環境破壊や、食料問題などはその筆頭であろう。単純に考えれば、人口が半分になれば、人間が出すゴミの量は半分になり、食料だって半分ですむのである。地球を一個のリンゴと考えれば、10人で分けて食べるより、五人で分けて喰べる方が、ひとりあたりの取り分が多くなるのはあたりまえの話である。
困るのは、人口が半分になれば、ぼくの本の売れる量が半分になるということで、それは哀しいが、なあに、ひとりあたりに釣ることのできる鮎の量が倍になることを考えればそのくらいはがまんできるのである。
いいことばかりである。
このままだと、いずれ、日本の人口は七千万人くらいになってしまうらしいが、これは昭和初期の人口であり、別におどろく数字ではない。現在の一億二六〇〇万人という人口が異常なだけだ。
老人が増えて、若い人間の人口よりも多くなり、そうなると若い人間が自分たちよりも人数の多い老人を養わなければならなくなる――という年金の問題をあげて、たいへんだたいへんだと騒ぐ人たちが多いが、これは、今の年金制度をそのまま未来も我々の社会が使用するという前提の話だからたいへんだと騒いでいるのであり、こんなのは、制度を変えればいいだけの話ではないか。だいたい、これから生まれてくる子供は老人を養うために生まれてくるのではないのだ。
さらに言えば、定年が、今はだいたい六〇歳前後だが、これを七〇歳前後にすれば、高齢者も税金を払うことになり、それはそれで、かなりの税収になるであろうし、それでも足りないというのであれば、世界一とも言われている土木事業費(公共事業費)の半分を、この高齢化社会問題にまわせば、この問題はあっというまにカタがつくのである。それだけ、日本の土木事業費用は高いのである。
人口が減るのは、おれは大賛成である。
日本の人口は、六〇〇〇万人くらいでいいのではないか。
『スコラ』で書くようなことじゃないかもしれないが、ま、今ぼくが書いたことくらいは、考え方のひとつとして、『スコラ』読者が頭の中に入れておいても、悪い話ではないと思う。
というところで、ようやく格闘技の話である。
先日、五月三十一日に、大道塾の、北斗旗体力別の試合を、仙台まで観に行ってきた。この試合を見ると、大道塾がムーブメントとして持っていた総合格闘技的な側面が、完全に定着したのではないか。
重量級で優勝した山崎などは、北斗旗新ルールにおける現在のところの頂点であろう。
こういう選手が現れて、たちまちのしあがって頂点に立つ――こういうところが大道塾のおもしろみである。
パンクラス、シューティング、様々なプロの総合格闘技の団体があり、そこで試合が行われているが、山崎などはどこへ出しても恥かしくない選手であり、どこの団体に出場しても、トップクラスになる器である。
山崎はおもしろい。
中量級の小川も最高である。
これまで軽量級で闘ってきた(三連覇)のを、中量級にあげて、これまたみごとに優勝をしてしまう。
準決勝、対戦相手の帯を取って、それで相手の首を絞めて落としてしまったあたり、反則ながら審判にわからぬようにやってしまったわけで、もはや、脱帽。
こうなったらシューティングの軽量選手との対戦をぜひとも観てみたい。
いずれ、加藤が現役復帰してくれば、この小川と対戦することになってゆくと思うのだが、これも今から楽しみなのである。
軽量級は、高松が初優勝。長い努力がむくわれた。おめでとう。
軽重量級は、土居に勝って、コノネンコが優勝。ぼくは、土居の優勝と予想していたのだが、今のコノネンコは、やはり強い。
この日の、決勝前に、長田賢一の昇段試験が行われた。
八人の相手と対戦し、その成績で、長田が四段に昇段できるかどうかが決まる。
最初の三名が、寝技なしの北斗旗ルール。
次の三名が、いわゆる極真ルール。
最後の二名が、柔術ルールで行われる。
ひとり、一分ずつの対戦とはいえ、久しぶりに長田の試合が八回も連続して見られるわけである。
特に、最後の柔術ルールのふたり目の対戦相手は、飯村である。
飯村は、中井祐樹のパレストラで、すでに三ヵ月、柔術の練習をしている。
長田は、ほぼ二ヵ月、仙台で柔術の練習をしている。
このふたりの対戦もまた、なかなか興味深いものがあって、ぼくは楽しみにしていたのである。しかも、飯村のセコンドには、中井がつくというではないか。
現役を離れて何年もたつ長田がどこまでやれるのか、そこにも興味があった。
結果は三勝、三敗、二引き分け。
一勝が一ポイント、一敗が0ポイント、引き分けが0.5ポイント。
このポイント合計が四ポイントで、長田の昇段が決定した。
一分ごとに、活きのいい対戦相手が次々に出てきては、全力疾走でむかってくる――これはたいへんにきつい。長田は、かなりスタミナを消耗していたのではないか。現役の頃であれば、6.5ポイントはいけたのではないかと思うのだが。
飯村対長田――ポジション取りとスタミナの差で、飯村有利と見たのだが、柔術ルールの場合は、判定がない。一本とらなければ、引き分けである。
長田は、柔術ルール二試合を引き分けた。
なんとか、現役に復帰して、またばりばりとやってもらいたいのだが、おもいきって月に十五日ずつくらい東京に出てきて、出稽古にあけくれるような日々をすごす、というような時間を長田が持つのなら、北斗旗のみならず、格闘技界はまだまだおもしろくなってゆくと思うのだが。
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