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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ!

 坂東玉三郎を見るということは、どうしてこんなに心地好いのだろう。  
  しばらく前に銀座のセゾン劇場でやっている「ミハイル・バリシニコフ&坂東玉三郎」を観てきたのだが、なかなかその時の興奮が覚めない。  
  バリシニコフと言えば、キーロフ・バレエの天才ダンサーで、後、西側に亡命した踊り手である。  
  同時代に生まれてよかった――と思われる天才や人物が、ひとつの世紀には、何人かこの世に生ずるが、もちろん、その数は稀である。玉三郎とバリシニコフはその希な例である。このふたりが同時に舞台に立っているのを見るだけでも、このイベントにゆく価値はある。  
  まず、最初に玉三郎が独りで演った『君が代松竹梅』が、絶品であった。  
  純日本のものであるこの踊りを、始めにもってきた演出は、まことに心憎い。  
  バックミュージックである長唄を聴いても意味なんかわからないと言う人もいるであろうが、安心しなさい。ぼくだって、長唄を全て聴きとれるわけではないのだ。玉三郎の凄いところは、そのような意味とか、主題(テーマ)とかが消失した地点から、さらになお、向こうへ行ってしまう踊り手であることだ。意味が消失して、どこへゆくのか……つまりこれは、美そのもの、純粋な美の結晶体となってしまうということなのである。  
  つまり、流れてゆく川の水や、風に揺れる竹林のごとき存在となってしまうのである。そのような現象に意味を求めるのはもはや無意味であり、意味などわからなくとも風に揺れる桜を見ているのが心地好いように、玉三郎を眺めていることが心地好いのである。  
  つまり、『週刊新潮』に載った、 「『何これ! 
  全然、分んないよ』」  
  で始まる劇評は、この意味でも、他のどういう意味でも明らかに大きく的をはずしているのである。  
  漫画家の萩尾望都、極真の八巻建志とこれを見に行ったのだが、 「鳥肌が立ちました」  
  と言ったのは八巻であった。 「格闘家は踊りを勉強するべきですね。筋力の問題だけではなく、この精神性とか、気の問題として考えた時、間違いなくもっと強くなれますよ」  
  と、八巻は言った。 「だけど、世界大会前に、誰かに踊りを習った方がいいぜと言われて、やる?」 「やらないでしょうねえ」 「今の、極真の後輩たちにさ、たとえば数見に、日本の舞踊をやると強くなれるぞとアドバイスして、彼らがやる?」 「やらないでしょうねえ」  
  とこのようなおもしろい話ができたのも、世界チャンピオンの八巻がいたからである。  
  玉三郎は、一種の奇跡である。  
  他のダンサーとは、根本的に何かが違っているのである。  
  たとえば、踊りが上手で、演技もうまい、ぼくの大好きな歌舞伎役者は他にもたくさんいるのだが、たとえば彼等が、バリシニコフと、この日のイベントの最終演目である「ふたりのカンタータ」(ディナ・ライツ振付)を踊っている姿がどうしても想像できないのである。  
  歌舞伎の役者が、素の顔で、シンプルな洋装をし、バレエ・ダンサーと共に踊る――こんなことができるのは玉三郎だけであろう。玉三郎は、歌舞伎というジャンルにありながら、そこを越えた場所にいるのである。  
  後半の「ふたりのカンタータ」にいたっては、もはや、言葉もない。  
  これまでたくさんの舞台を観たが、このような、エキサイティングで心地好い、大岡玲の言葉によれば、“魔術的な”空間を共有できることは、そう常にあることではない。 「力が沸いてきます」  
  八巻は興奮し、感動して帰っていった。  
  まったく、人が生み出す、動き、アクション、スタイル、型――それらのものはもしかしたらその人の心そのものではないかと思えてしまう時があるのだ。  
  この文脈で言えば、パンクラスの船木誠勝の動きや所作に、しばしばこれに近いものを感ずる時がある。  
  船木がリング上でやる動きや所作は、理をつきつめていった果てに、それがどこかで船木自身の精神性と溶けあいながら、どんどん美の領域に近づいていっているのではないか。  
  リング上の船木の動きを眺めているのもまた、ぼくにとっては心地好いのである。  
  というところで、話がややっこしくなる前にパンクラスの話である。  
  この原稿が活字になる頃には、もう数日後に迫っていると思うのだが、九月十四日のパンクラスの日本武道館が楽しみなのである。  
  山田親分が、いよいよこの日から復帰をする。相手が、山田の初戦の相手であった稲垣であるというのが憎い。  
  J・デルーシアは、長谷川とやる。  
  國奥とやるエバン・タナーは、早々にもランキングに入ってくる逸材である。  
  アメリカ帰りの近藤の相手が渋谷というのは、近藤のアメリカでの成果を見る上ではまことにおもしろい組み合わせであろう。  
  船木の相手は、身長二メートル九センチのセーム・シュルトである。  
  メインが、ガイ・メッツァーと柳沢のタイトル・マッチである。  
  これは、柳沢のビッグチャンスである。  
  柳沢が、ベルトを巻く可能性は、五〇パーセント以上あるのではないかと思う。  
  どの試合も楽しみなのだが、今回の見どころは、  
  山田の復帰戦と、  
  鈴木みのる対高橋義生、  
  バス・ルッテン対渡部謙吾  
  であろう。  
  鈴木対高橋の試合が、パンクラスでこれまでの五年間で実現しなかったのが不思議なくらいだが、それだけ、このふたりの間には蓄積されたエネルギーが溜っている。  
  高校時代に、ふたりはアマレスで二度対戦している。  
  これは、高橋の二勝。  
  藤原組時代に、二度対戦し、これは鈴木の二勝。  
  言うなれば今回は決着戦のごときものである。  
  このふたりがリングに立った時の、周囲の空間のエネルギー状態を考えただけでもどきどきしてくるのである。  
  これが一押しだ。  
  次が、ルッテンとやる渡部。  
  ルッテンの強さとバランスの良さは皆が知っている通りであり、このルッテンに、未知数の大型新人渡部が何をやらかすかという楽しみがある。  
  渡部を、時おり控室などで見かけるのだが、これがエネルギーが充満している意志の塊りのような男である。  
  試合開始後、十秒もたたないうちに、あのルッテンが目を白黒させる姿が眼に浮かんでしょうがないのである。  
  渡部が、ルッテンを喰ってしまう可能性も充分ありとぼくは見ている。  
  そうなれば、いきなりパンクラスの新時代の幕開けである。  
  まだ、一度もリングで試合をしていない新人に、これだけ胸がときめいてしまうというのは、渡部、おまえ、いったいどういうエネルギーの持ち主なんだ。  
  九月十四日のパンクラスは、必見である。  
  これは断言しておきたい。

 

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