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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第二十回》天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ

 友人の絵師である天野喜孝と一緒に、岐阜県にあるぼくの釣り小屋にこもって、陶芸をやってきた。  
  天野さんとは、もう、十六〜七年のつきあいになる。  
  朝日ソノラマで『キマイラ・シリーズ』を始めた時に、表紙を描いていただいたのが縁である。  
  天野さんは、現在、一年のうちの半分以上をニューヨークでの仕事に使っている。昨年は、ニューヨークのソーホーで個展もやった。  
  高さ三メートル、長さ十六メートルにもなる絵などをむこうで描き、個展ではそれらの絵が会場に並んだ。  
  坂東玉三郎さんを、ぼくに紹介してくれたのも、天野さんである。ゲーム『ファイナル・ファンタジー』のイメージデザインやキャラクターデザインなどもしており、いつも時代の先っぽで仕事をし続けている。  
  今年の五月に、天野さんが来て土をいじっていったら、これが実におもしろい。天野さんも興奮し、ぼくも興奮した。  
  それなら、日をあらためて、土いじりをやりましょうと約束をして、今年の九月にそれが実現したのである。  
  三泊四日。  
  この時間を有効に過ごすために、料理番をやとった。これで、ぼくらは食事をして、風呂に入り、眠ることの他は、ただひたすら土をいじることに専念できる状況を手に入れたのである。  
  天野喜孝が、作品を創る現場にたちあうというのは、なかなか刺激的な体験であった。天野喜孝が、ぼくの目の前で土をいじりはじめると、その指先で次々に土が変化をしてゆく。轆轤(ろくろ)を使用したり、器を作るということを、天野喜孝はしないのである。ただ心のままに土をいじっているうちに、土は、流れ出してゆくのである。いずこかへ向かって、天野喜孝の指先で、土は流動してゆき、それがいつの間にか、裸女であるとか、妖精であるとか、得体の知れない仮面になったりしてゆくのである。  
  ぼくが、土をこね、大皿を作る。  
  その大皿に、天野喜孝が絵を描き出した。  
  濡れたままの土である。普通は、いったん素焼きをしてから、下絵つけをするのだが、やりたくなったら、それが、まだ成形したばかりの濡れた土であろうが何であろうが、やりたい気持ちはもう止まらなくなってしまうのである。発情期の猫である。  
  心のままに作ってゆくのが今回のテーマであるから、さっそく、絵の具を用意した。  
  絵の具といっても白い化粧土である。  
  これを、どろどろのどべにして、さらに青いゴスを混ぜて、青い絵の具とした。  
  同じものに、赤いベンガラを混ぜて、これは赤茶色の絵の具とした。  
  白、青、赤茶の、三色の絵の具を、天野喜孝は手にしたことになる。 「獏さん、ただ描くのもいいんですが、これに何か文章を書いてくれませんか」  
  と、天野さんが言うのである。 「どうせならば、何か統一テーマがある方がおもしろいと思いませんか」 「ならば、ドアにある四神獣をテーマに、まずやりましょうか」  
  僕の釣り小屋のドアには、中国で買い込んできた、銅版のレリーフがある。そこに、中国の神話上の獣が描かれている。青龍、白虎、朱雀、玄武――それぞれ、東西南北の、四方位の守護神である。さらに言うならば、青龍は、色なら青で春(青春て言葉はここから来ている)を現し、朱雀は、色なら赤で、夏を現し、白虎は色なら白で、秋(北原白秋の白秋はここからきている)のことであり、玄武は色なら黒で、冬を現している。  
  さっそく、ぼくはアドリブで四神獣に捧げる詩句を、まだ濡れている大皿に書いていった。  
  たとえばそれは、次のようなものである。  
  青龍よ  
  青龍よ  
  汝(な)がごとき  
  猛き言葉もて  
  我も天に昇らん  
  いざこと問わん  
  朱雀王(すざくおう)  
  この世に  
  散らぬ花の  
  ありやなしやと  
  恋はさびしいぞ  
   
  こんなぐあいのものである。  
  これに、たちまち天野喜孝の筆によって、絵がつけられてゆくのである。  
  まず、天野喜孝が大皿を見つめる。  
  十秒、二十秒、三十秒。  
  一分もしないうちに、手が動き出す。まずヘラの一方の先で、さらさらと、皿の上に線をひいてゆく。始めは、それが、何の線だかわからない。しかし、手は休まずに動いてゆく。動いてゆくうちに、その線に次の線が加えられ、添えられて、龍の姿になってゆく。それに、濡れた泥を凄い速度で塗りたくってゆく。  
  見ていると、この速度感がたいへんに心地よいのである。  
  次々に、ぼくが言葉を書いてゆくと、次々に天野喜孝が、これに線色をつけてゆく。それを、ぼくは目の前で見ている。  
  こんなに贅沢な時間があるだろうか。  
  皿なら皿、器なら器をぼくが轆轤(ろくろ)で引けば、それにも、筆が走ってゆく。  
  これがよい。  
  天野さんの速度につられて、ぼくの中から言葉が次々に生まれ、増殖してゆくのである。 “手が合う”  
  というのは、このことをいうのであろうか。  
  夜、酒を飲みながら、話をする。 「もっともっとやりたいですね」  
  と天野さんが言う。 「やりましょう」 「ものすごく、エッチで、エロチックなものをやりたいと思いませんか」 「いいですね」と、ぼくは言った。 『源氏物語』でも、楊貴妃でも、そのエッセンスを、次々に、いやらしくて死にそうになるくらいの詩句にしてゆく。 「陶板で絵本を創る。そういうイメージで、どんどん書けますよ」  
  この頃には、もう、ぼくも天野さんも、頭の中に、イメージが溢れ出して止まらなくなっている。 「そうだ、カルタもできますね」 「エッチな、絵つきのイロハカルタを、陶板でやりましょう」  
  たちまちその瞬間にぼくは頭に浮かんだフレーズをメモしてゆく。  
  それをここに紹介しておく。  
  イ 
  いんらんどんすの帯解きながら、花嫁ごりょうは何故泣くのでしょう。  
  ロ 
  露出狂になっちゃいそうだわと脱いでいるおまえ、もうなっているではないか。  
  ハ 
  恥ずかしいわと言いながらいっぱい開いている。  
  ニ 
  憎いにくいあなたが一番上手。  
  ホ 
  欲しいと言ったら負けだけど、がまんしているわたしがキライ。  
  ヘ 
  ヘンタイ活用、するとき、すれば、する、します、できちゃった。  
  ト 
  床上手はよがり上手。  
  チ 
  痴漢ごっこをしても燃えず、離婚届けにハンを押す。  
  リ 
  淋病になって「やっとオマエも一人前になったなあ」先輩から酒をおごられてしみじみ。  
  ヌ 
  抜かず八っつの伝説男の名前は、佐藤和彦おまえだあっ。  
   
  ほとんど無限に書けてしまうのである。  
  おおいにもりあがって、我々は、エロスの表現者となることを誓ったのであった。  
  どこかで、これを、ホンマモンのカルタにしてやろうというところはないか。  
  というところで、本日はこれまで。

 

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