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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派

《第二十九回》困ったものである

  そもそもの発端は、あるアウトドアメーカーの雑誌に、次のような文章を載せたことであった。
  山で見つけたヒトリシズカ(花の名前)を、家まで持ち帰って庭にうえたらそのまま根づいてしまった。
 
 十年以上も、桃の樹の下で毎年一緒に花を咲かせていたのだが、ある年に引越しをして、またこれをうえかえた。
 
 それからまた五年近くも元気で花を咲かせていたのだが、二匹目の犬を飼った年にこのヒトリシズカは消えてしまった。
 
 犬が駆け抜ける通り道にあって、毎日犬の足に踏まれて消滅したのか、あるいは飼ってたウサギがこれを喰べてしまったのか、経緯は今もってわからない。
 
 たいへんに残念である。
 
 いつの日か、またヒトリシズカをどこからか手に入れてきてうえようと思っていたのだが、なかなかそういうチャンスがない。
 
 花の時期に山に入らないと、このヒトリシズカを見つけることがたいへんにむずかしいからである。
 
 今年こそはと毎年思うのだが。
 これを読んだ方から、おしかりの手紙が三通来たのだが、そのうちの二通はかなりヒステリックなものであり、ぼくの行為をわざわざ盗むという漢字をあてて書いており、ぼくの本を二度と買わないとか、そのメーカーの品を買わないとか、新聞に投書をしてやるとか、そういう人間が百人も増えたらヒトリシズカを見ることができなくなってしまうとか、自分はスミレも踏まないように歩いているのにとかいう言葉でふたりはぼくをののしっているのである。
 あるアウト・ドア雑誌で、イラストレーターが、カヌーに乗りながらタバコを喫っている人間のイラストを描いたら、たいへんに凄い抗議の手紙が来たことがあるそうなのだが、この手紙も同様である。ふたりのうちのひとりは、山野草を見にゆく会に入っているという女性であり、なんと住所も書いてないため、反論もできないのである。
 その雑誌で論争になれば、メーカーに迷惑がかかるであろうし、とりあえずは、公にはどういうリアクションもしなかったのだ。そのメーカーの担当者に、ぼくは手紙を書いた。
 それを、以下に紹介する。 前略。
 ヒトリシズカは、高山植物ではありません。山野草であり、日本全国どこの野山にも自然に生えている植物です。北海道から九州まで、外国ではカラフトや中国までどこにでもたくさんはえているものです。
 一年にたったひとかぶしかふえない高山植物のコマクサをとるというのは論外ですが、ヒトリシズカは、たとえ、百人の人間が採ったとしても、地上から消滅してしまうようなものではありません。
 ぼく自身も、山の植物を家にもち帰るというのはあまり好きではありませんが、ヒトリシズカは例外で、これまでにただ一度だけ持ち帰ったことがあります。それは原稿に書いた通りです。そして、もう一度チャンスがあれば、持ち帰りたいと考えていることもかわりはありません。
 魚でいえば、家で魚を飼いたいとは思いませんが、例外的にただ一種、タナゴだけは今でも家で飼ってみたいと思っています。
 これが貴重種のタナゴでは問題がありますが、タイリクバラタナゴであれば、どういう問題もありません。絶滅はすることはないでしょう。これを食用にしている地域もあるくらいです。
 野田さんも、タナゴを巨大水そうで飼っています。ヒトリシズカはこのタイリクバラタナゴのようなものではないでしょうか。
 ヒトリシズカはたしかに昔ほどは、家の周囲には見られなくなりましたが、これは開発によって、家が建ち、道路をアスファルトで埋めていったのであり、人間が採る(営業目的で採るのは別として)ことによって、消えてしまうものではありません。
 少し知識のある人が山に入ってゆけば、花の時期であればたやすくこの花に出会うことができます。
 たとえば、ニリンソウという、これもまたかれんな白い小さな花が咲く野草がありますが、これは山菜であり、特に北海道では春にだいじな食用になるものです。
 山小屋などでも、この花を採った客に食べさせているところもあります。
 ヒトリシズカは、このニリンソウよりももっと自生する場所が低山帯であり、くりかえしますが、ニリンソウよりももっとあちらこちらに普通にはえている植物です。
 山野草の本などには、この花があまりに一般的すぎてここはぼくの推測ですが載っていない本もある(これは事実です)くらいです。
 問題は、たとえば周囲に一本もなく、たった一本しかそこにないヒトリシズカをもってきてしまうことや、たとえば上高地などのみんなが自然を楽しみに来る場所などでの花を採取したりすることでしょう。
 ぼくが、このヒトリシズカを採取したのは山北(丹沢にある地名です)にある、友人の家の裏山でのことであり、基本的にはそこの主人がいつも山菜を採りに行ったりする個人的な山です。
 このような場所から、ひとかぶのヒトリシズカというどこにでもあるような植物を採るってくるなどというのは、あらゆる植物を採ってきてはいけないという意味と同じことでしょう。たとえば、タンポポをとってはいかんというのと似ています。
 スミレについては、ぼくも、踏まないようには歩きますが(わざわざ踏む人などいないと思いますので)、これは誰でもやっていることでしょう。
 問題は、自然に対する個々のインテリジェンスに属することであり、コマクサなどのように数少ない花ではなく、ヒトリシズカのような花の場合は、それを採るかとらぬかは、TPOであり、個々がそのインテリジェンスで判断してゆくべきことでしょう。他人に押しつけるようなことではないと思うのです。
 これは、春の小川で小ブナを釣るのをやめなさいと言っているのと同じレベルの話です。
 これをもって、貴社の製品を買わないですとか、新聞に投書をするというのは、かなりヒステリックなことであり、アメリカで、毛皮屋に火を点けた人々や、医学用の実験動物を逃がすために人を殺してしまった人々や、、手塚治虫のマンガに出てくる全ての黒人表現を差別であるとして、出版さしとめを申し入れた、名古屋のある家族と同じです。
 ぼくの方で反省点があるとすれば、このことを原稿に書いてしまったことでしょう。
 ぼく自身も、始めに書いたように、野草を根っこごと持ち帰るのはあまり好きではありません。ぼくがこれを原稿に書くことにより、そういう人々が増えるかもしれず、あげくのはては、何も知らない人たちが、コマクサや、イワカガミ、ハコネコメツツジのようなものまで持ち帰ってもいいのだと思ってしまうことです。
 このことについての反省はありますが、彼女たちの、なんでもかんでも野の花を持ち帰ってはいけないと決めつけるやり方にはついてゆけません。
 しかもまだやってない行為について、新聞に投書というのもどうかしています。
 投書をしたいと言った方は、もっと大きな自然破壊である山の中の道路建設であるとか、数十万本のヒトリシズカが一度に死ぬと思われる川辺川ダムなどについては、抗議をしているのでしょうか。
 必要なら、ぼくがこのことについて原稿を書く用意がありますが、これは勇気をもって無視するのがよいかと思われます。
 万葉の昔は、ヒトリシズカの歌などがあり、山野草をつみにゆくシーンはいっぱいあるのに、そういう話をなかなか、現代では書けなくなってきているようです。
 このことで、ぼくの本が売れなくなるのはいいのですが、貴社にめいわくがおよぶのはぼくも哀しいです。
 
 夢枕獏
 以前にも、高速道路の速度制限について、時速100キロにしたらどうかというエッセイを書いたら、たいへんにヒステリックな手紙が来たこともある。
 住みにくい世の中になったなア。


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