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お気楽派

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●《第三十回》アブダビコンバットに行ってきたぞ その1
●《第二十九回》困ったものである 
●《第二十八回》トルコ交信曲(後編) 
●《第二十七回》トルコ交信曲(前編) 
●《第二十六回》K‐1を観にゆき 世界平和について 考えている 
●《第二十五回》演出の魔術 
●《第二十四回》雅楽からシュートボクシング 
●《第二十三回》北国行感傷旅行 
●《第二十二回》今、万札を燃やしているのです 
●《第二十一回》このお金、原稿料からひいて下さい 
●《第二十回》玉三郎、天野喜孝と土をいぢって遊んだぞ 
●《第十九回》ビッグ・サーモンはおれのものだ 
●《第十八回》玉三郎、パンクラスどちらも必見だぜ! 
●《第十七回》鮎がおかしいぞ 
●《第十六回》 阿寒湖のアメマス釣り 
●《第十五回》 歌舞伎座から日本武道館まで 
●《第十四回》 出生率低下なるも北斗旗おもしろし 
●《第十三回》 陶芸にはまっとります 
●《第十二回》 おれは哀しいぞ 
●《第十一回》 北方謙三とワインを飲む 
●《第十回》 猪木引退の日に―― 
●《第九回》 最終小説 
●《第八回》 中井祐樹という格闘家(後編)
●《第七回》 中井祐樹という格闘家(前編)
●《第六回》 格闘技の現在形
●《第五回》 釣り助平軍団、ワカサギ隊
●《第四回》 心揺らしながらアルティメット
●《第三回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(後編)
●《第二回》 私、四十六歳。おしっこちびりました。(前編)
●《第一回》 ヒマラヤの屍体


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お気楽派
 
 
《第十六回》阿寒湖のアメマス釣り

 北海道へ行ってきた。  
  阿寒湖へアメマスを釣りに行ってきたのである。  
  アメマスとは、降海型のイワナのことである。イワナの仲間で、シャケのように川と海を行き来する。  
  不思議なことに、イワナとは何かということになると、陸封されたアメマスということになっている。  
  イワナ、アメマス、いったいこの二種類の魚はどちらの種がベースになっておるのか、これではわからないではないか。  
  進化史的に考えれば、あらゆる生物は海から誕生したことになっている。つまり、この発想からすれば、アメマスが先で、これが、氷河期に陸封されて、海へ下らなくなってイワナとなったと考えればいいのだろうが、これがまたどうも、このアブラビレのある魚の仲間は、陸封型だの降海型だのが、実に複雑に入り混じっていて、とてもひと口では捕えきれないのである。  
  他に、アマゴ、ヤマメ等も、海へ下ったり下らなかったりする。  
  アマゴが海へ下ってもどってくれば、サツキマスと呼ばれるものになり、ヤマメが海へ下ってもどってくれば、サクラマスと呼ばれるものになる。  
  ところが、困ったことに、アマゴの中には海へ下るものと下らないものがあるのである。遺伝子的にはまったく同じ(はずなのだが)アマゴという魚の中で、どうして、海へ下るタイプと、下らないタイプが生まれるのだろうか。  
  同じことが、アマゴの仲間のヤマメにも言えて、ヤマメも、同種でありながら、海へ下るものと下らないものが存在するのである。  
  アマゴにしても、ヤマメにしても、赤い斑点があるかないかの差があるだけで、見ためはほとんど同じ魚である。どちらも、川に棲んでいる時には、大きくなっても三〇センチをやや越えるくらいまでなのだが、海へ下ってもどってきたやつとなると、平気で五〇センチを越える大きさになったりする。六〇センチという大きさもめずらしくはない。同じ種で、どうして、こうも大きさに変化があるのか。  
  アメマスなどは、降海型のイワナのくせに、陸封されて、海へ下らなくなってしまったやつもいて、ではこいつが、陸封型のアメマスだからイワナになるのかというと、ならずにやっぱりアメマスだったりする。  
  たいへんにややこしい。  
  アブラビレのある魚を釣らない人には何の話かまるで見当がつかないであろう。  
  さて、このアメマスのいる阿寒湖なのだが、毎年、六月の半ばを過ぎたあたりから、モンカゲロウのスーパーハッチが始まるのである。  
  モンカゲロウというのは、水棲昆虫の名前で、ハッチというのは、日本語で羽化のことである。  
  つまり、いつもは水中にいるモンカゲロウの幼虫が、この時期、湖中でいっせいに羽化するのである。水底にいた幼虫が、水面に浮かびあがり、水面で羽化して空に舞ってゆく。この数が凄いのである。何千、何万、何十万、何百万という個体が、成虫になってゆくのである。  
  これが、スーパーハッチである。  
  スーパーハッチが始まると、魚は狂ったようになって、このモンカゲロウを捕食する。もう、みさかいがなくなっている。  
  このハッチの始まる夕刻に、このモンカゲロウに似た擬似鉤――つまり毛鉤(フライ)をキャストしてやると、たちまち魚が喰いついてくるのである。  
  もう、釣りほうだいであり、入れ喰い状態なのである。の、はずであった。  
  ところが、行ってみたら、このスーパーハッチ、今年は一週間前に一番いい時期が終ってしまったのだという。  
  どうして、釣れる魚は過去と未来にしかいないのだろう。現在という時間帯には、必ずといっていいほど、魚はいないようなのだ。 「一週間前なら釣れたんだけどねえ」 「昨日だよ。昨日来ていたら、馬鹿釣りできたのに」  
  こらこら。  
  ほんとにもう、何度、そのような言葉を我々は耳にしたろうか。  
  そして、今回もまたそうだったのである。 「先週来ればよかったのに――」  
  事前にわかっとれば行っとるわい。  
  それでも、ワタクシ、釣りました。  
  友人からいただいた、モンカゲロウのフライで、みごとに四〇数センチのアメマスを釣りあげましたです。  
  いやあ、泣きましたぜ。  
  わざわざ北海道までやってきて、一尾も釣れずに帰るのは哀しいものがあるからなあ。  
  初日は、何度かフックはしたものの、結局バレて五尾ほどを落とし、手元までよせてネットに入れたのは一尾。  
  しかし、0尾と一尾の間には、無限の宇宙空間が横たわっており、一尾でも、釣ったと釣らないのとでは、おおいに気分が違うのである。  
  テレビの釣り番組などで、よく耳にするセリフに次のようなものがあります。 「結局、魚は釣れなかったけど、景色がきれいだったし、美しい自然の中で、おいしい空気をたくさん吸えて、わたし、とっても嬉しかったワ」  
  これはウソ。  
  本当かもしれませんが、釣りに行って、景色と空気の話をしはじめたら、それはもうおシマイです。 “景色がきれいでよかった(が、釣れたら、もっとよかった)”  
  これが本音であります。  
  このワタクシも、何度か言ったこと、ございます。  
  でも、それは、心の底からの正直な言葉ではない。  
  だいいち、フランス料理を食べに行って、料理は出なかったけど、でも、お店の雰囲気がステキでよかったワ、などと言いますか。  
  料理は出てこないわ、金はとられるわ、それで、ああた、ステキ、なんて言ってくれますか。  
  あ、これ、例があまり適当ではなかったかな。それとも、わかりやすかったかな。  
  ちょっと不安。  
  しかし、釣れないよりは釣れた方がいいってえことは、こらあ、あたりまえだわなあ。  
  ともかく、釣りに行って、景色の話をしてよいのは、釣れた人だけ。  
  その翌日は、阿寒湖のスーパーハッチが全国的にも知られ、あまりにも釣り師が多くなってきたので、阿寒湖から別の釣り場に移動して、ボートを出し、そこで、二〇センチ前後のレインボートラウトなどや、アメマスなどを釣って、のんびりいたしました。  
  久しぶりに原稿を書かない三日間でありました。

 

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